さて、親父に心の底からの感謝をしたあと、今後どうするか、についてですが。
せっかく親父が形に表してくれたんです。こっちも誠意を行動で示さなければなりません。
そのためにはまず何をするか?
やるべきことをやる、なんてのは当たり前のことですが、今の俺はその当たり前のことができていません。
大学行くか働くかとか、そういう次元の話じゃなくて、もっと根本的な話。
人間としての話。
もっと言うと、生物としての話。
「朝起きて日光を浴び、日中は起きて過ごし、夜になったらきちんと寝る」。
そういうレベルからまず直さなければなりません。
今の俺は、毎日不規則な時間に起きて、日中寝たり寝なかったりで、しかも夜は遅くまで夜更かししているという状況です。
そんな自堕落な生活をしていて、人間として心が腐っていかないわけがありません。
だからまずはそういうところから始めて行きます。
で、最近になってやっと気づいたんですが……
「ブログの更新」って、意外と大事。
いや笑い事じゃなくて、ホントに大事です。
人が見ているとか見ていないとか、そういう問題ではないです。もちろん、これもまた別に重要な意味があるので、後で説明しますけど。
まず「ブログを書く」というのは、俺の場合「日記」という意味と、「寝る前にすること」という二つの大きな意味があったんです。
三年以上毎日つけていたんです。それをつけなくなったら、生活が一気に崩れるのは当たり前です。
ブログをきちんと更新しなくなったのは、大学に入ってしばらくしてから。完全に更新しなくなったのは夏休み、八月に入ってからです。
俺が引きこもり始めた時期と重なりますね。
引きこもるのは、そこが快適だから。外に出たくないから。
快適だと、何もしなくなる。その内、「何もしない」が「何もできない」になる。「何も考えない」にもなる。
で、年明けにちょろっと書きましたけど、このままじゃダメだ、と。
それが今の状況。
まず、「日記」という意味は。
ブログを更新しなくなったのは、書くことがなくなったから。
書くことがないのは、書けるようなことを何もしていないから。
以前の俺なら、何も書けるようなことをしていなくても、その日何を考えていたとか、そういうのをなんとかして書こうとしてました。
それをしなくなった。書くのが面倒になり、その内書かないのが当たり前になってしまった。
まずそこから直していかなければなりません。
日記というのは大事です。その日何をしたか、何を考えていたか、明日は何をしようか、などを書くわけですから、とにかくネタがないと始まらない。
ネタがないなら探すしかない。見つからないなら、作るしかない。
つまり、その日何かをし、何かを考え、次の日何をするかを考えなければならないということです。
そのためには、うっすい一日を過ごしてはならない。「何をしたか覚えていない」なんて一日を過ごしてはならない。今年の夏休みはそんな日ばかりでした。実際、何をしたのかまったく覚えていませんし。
「何かやった」「何か考えた」というのがなければ、人間生きている意味がわかりません。「ただ惰性で生きている」という言葉がピッタリ当てはまります。
どうしても書くことがない、という状況でも、とにかく書こうとしてみる。どうせなら「今日は何もしていないし何も考えていなかった」っていうことすらもネタにしてしまえばいいんです。その代わりに、「明日は何かしよう」と思って、考えなければなりませんが。
どうせ俺の生活です。一日一度はPC開いてネット見るんですから、ブログの投稿画面もついでに開けばいい。間違っても2chの専ブラだけ開いて終わり、ニコニコだけ見て終わり、なんてことにはならないように。
とにかく今怖いのは、「一日一度は2chの専ブラ、もしくはニコニコを見なければ気持ち悪い」という状況。これを「ブログ書かないと気持ち悪い」という状態にまで戻さなければならない。現に今ニコニコとかvipとかニュー速+見てなくてソワソワしてます。
夏休み以降、そういう生活に慣れてしまったので……
原因は……なんだろ、尖閣ビデオ流出とイナズマイレブン人気投票祭りかな?
とにかく、ネットの最新情報を常に手に入れていないと、なんだかものすごく情弱になった気分がして怖いんです。これに関係した話も、次の記事で書こうかと思います。
ネットの最新情報を常に手に入れているには、常にネットを見ていなければならない。何か新しい事件が起きたり情報が手に入ったりしたときのために。
その内、「何か起きていないかな」とPCを立ち上げるのが当たり前になり、そしてさらに「とりあえず何も起きてなくてもいいからネット見るか」となってしまう。
ネットは最高に人間の時間を無駄遣いさせてくれます。特に、先ほど例に挙げたニコニコやvip、ニュー速+とかは。あとはWikipediaとか何かのまとめサイトとかもかな。
しかも恐ろしいのは、「ネットで時間を無駄遣いする」が、「時間を無駄遣いするためにネットを見る」ことに変化することです。
例えば俺の場合、昨年の終わり頃は、昼飯を食う時間になるまで時間を潰すためにネットを見て、昼飯を食った後、晩飯を食う時間になるまで時間を潰すためにネットを見て、晩飯を食った後、寝る時間になるまで時間を潰すためにネットを見る、なんて状態になってました。
「ネットジャンキー」です。思い返せばホントにひどい……
最悪なのが、晩飯食って、寝るまでの時間にネット見ている内に、何か面白いネットの記事を見つけてしまい、それを読み終わるまで寝ない、って状態ですね。
そのためにもう一つの意味、「寝る前にすること」という意味があるんです。
「時間を決めて、その時間になったらネットを見るのをやめてブログを書く」というのが重要なんです。
そして、「書いたらPCの電源を切って寝る」というリズムを作る必要があるんです。
以前俺は、「ブログのせいで生活リズムがおかしくなった」と言われたか、書いた記憶があるんですが、それよりも「ブログを書かないせいで寝る時間がまちまち」という方が危ないです。
寝る時間がまちまちになれば、起きる時間もまちまちになってしまい、すると日中寝てしまったりして、夜眠れなくなる。それではダメだ。
ブログによる害もあるけれども、それよりも今は「ブログによる規則正しい就寝時間の設定」の方が大事です。「これやったら風呂入って寝る」、というリズムを作らねば。
「一日一回寝る前に更新」が原則、例外もたまに存在するが、基本的に例外は認めない。今日は、俺にとって重要な日なので、例外としますが。「その日の内にどうしてもやっておかなければならないこと」がある場合が例外です。
最後に、なぜ「日記帳など」ではなく「ブログ」なのか。
理由は簡単です。「見ている人がいるかもしれないから」です。
「逆じゃないの?」となるかもしれませんが、これで合ってます。
「見ている人がいるかもしれない」という可能性を残すのは、「誰かに監視、もしくは確認(言葉が悪いですが)されている」、「見ている人が読んで面白いと思わせなければならない」という緊張感と義務感が生まれますからね。ついでに見ている人に意見を貰えたりすると、モチベーションの維持にもつながりますし。
数ヶ月まともに更新していなかったので、以前見てくれていた人はもう見ていないかもしれませんが、まあがんばっていきます。