「更新しますー」みたいなことを言ってしまった以上、やっぱり更新はします。
というか最近、更新しますします詐欺が我ながらひどかったと思う。すみませんでした。
できれば近況報告と日記を一緒にしてしまいたいのですが、とりあえず思ったことからテキトーに書いていってみます。
今日はまた久しぶりに病院へ行って参りました。
前々回の記事で書いたことと、この前の模試での感触を話しました。
前々回の記事では、「少しずつだけど、『自分が苦しいのから解放されたい』って感情だけじゃなくて、『周りの人たちに心配をかけたくない』って気持ちで病気を治したいと思えるようになってきてる」ってことを書いてましたが……
そのことを話すと、また主治医の先生にびっくりされました。
やっぱりなんというか、以前の僕のことを思うと考えられないような考え方だし、どうしてそんな風に献身的で自己犠牲精神に溢れた考え方ができるのかが、ちょっとよくわからない。
でも主治医の先生曰く、「きっとそれは君にもともとあった伸びしろだったんだよ」とのことです。
なるほど、僕は確かに一時期鬱になって引きこもって人間のクズやってましたけど、そこから立ち直れただけじゃなく、実はそういう……「潜在能力(みたいなもの?)」があったのかもしれません。いや、自分で言うのも変ですけど。
で、今になってそういう考え方や精神が芽生え始めたのは、おそらく今まで生きてきた20年にはなかった、「精神的な余裕」というのが出来始めたからじゃないのかな、と主治医の先生に言われました。
精神的な余裕、ですか……たしかに思い返してみれば、動き始めて変わり始めてから3ヶ月ほど経とうとしていますが、動き始めてから、なんとなく他のものに気を配れるようになったように思います。
最たる例は、姉貴の件でしょうかね?
姉貴が来春に結婚するとなって、嫁に行くとなればまぁこれくらいはできなきゃダメだろ、みたいなことを思って姉貴に言うようになってから、他のものに気を配るようになったのかな?
というか、「人間としてどうあるべきか」なんて一時期考えてたんですから、他人を見ていてそれが自分の描いた理想像と違えば、やっぱり僕の性格上、どうしてもそこを修正したくなってしまうんですよね。実際に変えられるかどうかはまた別問題として。
いろいろと「ああじゃないか」「こうじゃないか」って他のものに言えるようになるということは、たぶん、物事の見方が自分本位だけではなくなった、ってことなんでしょうね。
一見すると矛盾してるようですし、ブラバンの頃と変わってないじゃないか、とも思えますが、やっぱり違う部分はあると思うんですよね。
その違いがどこかというと、「自分のために他人にとやかく言う」と「他人のために他人にとやかく言う」ってところだと思います。
この二つ、似てるようで全然違いますよね。
前者は単なる自己中ですが、後者は、よく言う「相手のことを思って」ってやつですね。
もっと変な言い方をすれば、「自分が幸せになりたくて他人に言う」か「他人に幸せになってもらいたくて他人に言う」でしょうか。
ブラバンで揉めたのは、やっぱり今思い返しても、どう考えても僕一人が悪いです。「自分が今のブラバンが気に入らないから」ってことで他のブラバンメンバーにとやかく言うのは絶対に間違ってますし、他のブラバンメンバーも僕の言うことなんか聞く必要なんて全くないし、他のブラバンメンバーが僕の言うことを聞いてくれなかったからといって僕がブラバン自体を恨むのも、それこそ「逆恨み」ってやつでしょう。
……なんか変な言い草ですけど、「ガキだったなぁ」って感じです。
まぁたまたまそれがトリガーになって、今まで見えていなかったものが見えてしまうようになって、感じていなかったものを感じてしまうようになって、それで精神的に調子を崩してしまったのは確かです。
でも、ブラバンでの揉め事は、やっぱりあくまでただの「トリガー」でしかなかったと思ってます。
以前僕は「ブラバンのせいで~」なんてことを言っていたと思うんですが、別にブラバンのせいでもなんでもなく、完全に僕自身のせいですよね。身から出た錆ですよね。自業自得ですよね。それで逆恨みするのは僕が悪いですよね。
と、「今だったら」、思い返せば簡単に「自分一人が悪かった」ってのはわかるんですが、当時の僕は一体何をそこまでこだわっていたんでしょうかね? まぁ、あんまり考えても時間の無駄でしょうから考えませんけど。
なら「今だったら」、どういう風に振舞えばさほど摩擦や衝突もなくうまくやっていけてたのでしょうか? まぁ、これも今更考えてもしょうがないことですから、考えませんけど。
先ほど僕が挙げた二つ、確かにどちらも「価値観の押し付け」ではありますが、どこか違うところがありますよね?
ここで姉貴の話に戻るんですが、「世間一般では」とか「常識的に考えて」というのがキーワードのような気がします。
なんというか、「世間一般での常識」というものに基づいた考え方ができるようになった気がします。
良く言えば理性的、悪く言えば理屈っぽく現実的に考えるようになったってことでしょうか。
この考え方が是か非かという問題はこの際考えません。ですが、少なくともこの考え方ならば、割と世間一般では「常識的な人」「良識のある人」として扱ってもらえると思うんですよね。
なぜ僕がこういう考え方ができるようになったかというのは、わかりません。わかりませんが、この考え方は、少なくとも「自分以外の世界」に目を向けることができないとできない考え方だと思ってます。
僕がどこまで世の中のことを考えられているかはわかりませんが、この3ヶ月のことを思い返してみれば、確かに「自分以外のもの」によく気がつくようになったと思います。
姉貴の例を挙げましたが、その他にも、例えば最近では、自然や生き物を愛でるだとか、音楽を聴いて楽しむだとか、絵画を見て感銘を受けるだとか、本を読んで面白がるだとか、そういうのがずいぶんと増えた気がします。
感性が豊かになったとでも言いましょうか。小さい頃に受けていたのかどうかはわかりませんが、まるで情操教育受けてるような感じです。そしてそういう文化的なものに触れていると、この上なく楽しい。
これって、普通の人からしてみれば当たり前じゃんって感じでしょうが、僕にとってはすごい変化だと思ってます。
だって以前の僕だと、そういうものを鑑賞するなりして楽しむことはあったかもしれませんが、ここまで情緒豊かに自分の感情を表に出すなんてことはありませんでしたもん。
そんな「精神的な余裕」、ありませんでしたもん。
……不思議なもんですね。半年前までは絶望の淵の底にずっといて、そんな自分が大嫌いで、だけどそこから抜けだそうなんてこれっぽっちも思わなくて、ただ誰かが手を差し伸べてくれるのを待ってるだけだったのに。
今では、自分からその絶望の淵から這い出して、そればかりか他の人に手を差し伸べようとまでしてるんですからね。
そして今の僕は、こうして変わりつつある僕自身のことが大好きなんですよね。
変な感じですけど、自分がどんどん変わっていく、その様を見ているのが面白い。見ていて楽しい。これから先にとても期待してる。ホントに不思議で、以前の僕では考えられないことですよね。
よく「自分を好きになれなければ、他人を好きになることなんてできない」と言いますが……
僕の場合、どちらが先だったんでしょう? 自分が好きになったから他人に気を配れる余裕が出てきたのか、他人に気を配れる自分が好きになったのか。もしかしたらどちらもかもしれません。どちらも同時進行で、今現在も好きになり続けているのかもしれません。
でもこれってやっぱり、良いことですよね。少なくとも悪いことではないはずです。
こんな風に変わって、変わりつつあって、変えられて、変わっていく自分が、なんだかとても幸せな存在に思えます。
……ホントに、キャラ変わりましたよね。
で、まぁここまでなら「イイハナシダナー」で終わるんですけど、今日病院に行ってちょっと新しく考えたことが。
というのは、そのー……
『こんな風に変わった自分を、以前の僕を知っている人が見たら、どんな反応をするだろうか?』
ってことを考え始めるようになったんですよね。
上にも書きましたけど、ホントに「キャラ変わった」んですよね。
中高時代の僕って、どちらかと言うと根暗で、鬱陶しくて、手がかかって、面倒くさくて、できれば相手したくないような、そんなややこしい存在だったと思うんですよね。別に泣いてなんかいませんよ。
僕は「そういうキャラ」、「触れてはいけない存在=<アンタッチャブル>」とでも言いましょうか、そんな感じのキャラで、他の同級生のみんなと別れたんですよね、卒業式に。僕はみんなと一緒には卒業してませんけど。
ということは、みんなの頭の中には、「根暗でできれば関わり合いになりたくない奴」って感じの印象で残ってると思うんですよね。今も僕の存在が頭に残っている同級生が何人いるかは考えませんよ。
年初めに、同窓会があったんですよね。成人式を控えてるから、その前に学年みんなで集まっておこう、って感じで。
もちろん僕は行きませんでした。というか行けませんでした。当時の自分は、自分自身の有様を考えて、いたたまれなくなって逃げ出してました。
「今の自分をみんなに見られたくない」って感じで。
で、まぁ普通に同窓会は行われたらしいんですけど、当然同窓会には出席簿が存在するわけですから、僕が出席してないことに気づいた人は何人かいると思うんですよね。「ああ、あいついないな」って。
そしてそこには、たぶん「やっぱりな」って感情も含まれてたと思うんです。僕の想像ですし、もしかしたら自意識過剰すぎるかもしれませんが、まぁそんな感じの印象を抱かれたと思うんですよね。
それは別にいいんです。当然の感情ですし、そもそも僕が悪いんですから、それは全然構わないんです。
だけど、「今の僕」を、もし「以前の僕」を知ってる奴が見たら、って考えると、ちょっと怖いんですよね。
向こうからしてみれば、たぶん逆に悪い意味で印象に残ってるでしょうから、「ほら、高校のとき鬱だとか言って半不登校で引きこもってた奴だよ」って自己紹介すれば、だいたいは思い出してもらえると思うんですよね。うん、悪い意味で。
そういう奴が、「なんかテンションが変でキャラ変わった状態」になって現れたとしたら、みんなどんな反応するかな、って。
こう思うようになったきっかけは、昨日ツイッターで、何気なく「智辯和歌山」で検索してみたからなんです。
割と結構な数がヒットしました。中には「あぁ、これってあいつか」ってわかるのも何人かいました。
そういうのをなんとなく眺めていると、ちょっと思ったんですよね。
他のみんなは大学行ってて、浪人せずストレートで合格してたらもう大学3年、就活しなきゃならない年なんだな、って。
でもじゃあ今の僕の身分って何なんだろう、って。
浪人生だけど勉強はさほどガリガリやってるわけでもないし、しかも予備校行ってるわけでもないし、大学は辞めたし、でも働いてもないし、何か他のことやってるかって言うとそうでもないし、いつも家にいるし、でもニートとは一概には言い切れないし。
世間一般では、「実質三浪の、再受験しようとしてる宅浪生」って肩書きになるんでしょうけど、どうも何か違う気がする。というか、僕としてはそんな薄っぺらい言葉で表現して欲しくない。だけど世間ではそういう肩書きだよね、って。世間からしてみれば、僕のバックグラウンドや考え方、精神や生き方なんて全く関係ないわけですから。
まぁ、今は一応、「実質三浪の、再受験しようとしてる宅浪生」って肩書きで身分なんでしょうけど、問題はそこじゃなくて、その先にあると思うんです。
「今の僕を見たら、みんなどんな反応をすればいいのか?」っていう点、「来年東大に合格したとして、同級生には東大生も何人かいるんだから、再会したときどういう対応をすればいいのか?」っていう点、「今後同窓会等があったとして、その時に自分はどういう自己紹介をして、みんなにはどういう接し方をしてもらえばいいのか?」っていう点ですね。
別に学年での同窓会じゃなくて、もっと小さな集まり、ブラバンメンバーでの飲み会だとか、そういうのでもいいです。というか僕としては、そっちの方をできれば想定したいです。
一番怖い質問はあれですね、「お前今何やってんの?」って類の質問ですね。
まぁ久しぶりに会うとなれば、お互いの近況をまず聞きたくなるのが普通でしょう。その時僕は、一体なんて答えればいいんでしょう?
今だと、かいつまんで言えば「一浪して大学入ったけど合わなくて辞めて、今は東大再受験のために宅浪してるよ」で済むんでしょうけど、言われた方は、普通に困りますよね? リアクションに困りません? 普通なら「今はどこどこの大学通ってて今何年でこういう勉強してるよー」って返されるでしょうに、こんな特殊な略歴を話されると、どこにどういう風にリアクションを取ればいいのかわからなくなりません? 少なくとも僕はわからないんですけど。
いやまぁ、自意識過剰なのはちゃんとわかってます。わかってますけど、そういうことを想定しておかないと、何かと面倒なことになりません? 面倒なことになるというか、相手に迷惑かけちゃいません?
それが嫌なんですよ。
相手が僕のこのブログの存在を知ってる人なら、「あぁこいつこんなことあったのかー」ってわかりますけど、そうじゃない人にとっては、「えっ……?」ってなりません?
上に書きましたけど、他の人にも気を回せるようになれつつあるので、やっぱりできる限りは相手を困らせたくはないんですよね。
かと言って、僕の性格ではどうしても嘘が言えません。はぐらかすのも変だし、ごまかすのも変だし、じゃあ正直に話すか、ってなるんですけど、正直に話すと相手を困らせちゃうし。
どうすればいいんでしょうね?
まぁ、この一年はさほど積極的に会うイベントなんかに出しゃばることはないでしょうけど、それでもやっぱり夏休みくらいにはブラバンで飲み会あると思うんですよ。で、ものすごく参加したいんですよね。
「自己紹介で困るなら参加しなきゃいいじゃん」ってことになるでしょうが、上にも書きましたけど、面倒臭いことに、今の僕は変わりつつある僕自身がすごく好きなんですよ。
「以前とは変わった自分を見て欲しい!」って感じで。
こんなこと思ってるんですけど、別に嫌がらせとか自己主張激しいとかそういうのでもなくて、単に「高校時代にいろいろと心配かけたけど、今はこんなに元気に過ごしてるよ!」ってのをみんなに見てもらいたいんですよね。「もう心配いらないね」って思ってもらいたいし、やっぱり心配も迷惑もかけたんだからその点もきちんと会ってみんなに謝りたいですし。
でも会うとなると、……ってことですね。やっぱりちょっと悩んでしまいます。
それに、今の僕の姿を見て、以前の僕を知ってるみんなが引いてしまわないか、かえって嫌われてしまわないか、そんなことになったらどうしよう、そうなったら嫌だ、怖い、なんて思ってしまうんですよね。
今日カウンセリングの先生にも同じことを話したんですけど、その時に「なんかまるで中学に上がりたてで知り合いが周りに誰もいなくて、これから友達を作れるか心配してる中学一年生みたいですよね」って話をしたんです。まさにそんな感じです。大学生じゃないあたりも結構重要です。
変な感じですよね。なんというか、まるで今までの20年ずっと母親のお腹の中にいたみたいで、最近になってやっと生まれてきた、そんな感じでしょうか?
そうですね、「生まれ変わった」ってのが近いかもしれません。「キャラ変わった」の延長で。
変わり始めて良いことがたくさんありますし、今まで見えていなかったものがたくさん見えるようになったんですけど、それと同時に新しい心配事も出てきてます。
でも、こういうことを心配できるということは、やっぱり「精神的な余裕」が出てきたからだと思います。
そう思ったら、少しは気が楽ですね。
まぁでもなんだかんだ言いつつも、かなり人恋しいのは事実です。
「人に会いたい!」「喋りたい!」「話したい!」「一緒に笑いたい!」「みんなが今何やってるか知りたい!」「今の自分を見てもらいたい!」「何か意見を言って欲しい!」……そういう気持ちでいっぱいです。
なんかー……変ですよね。変な人ですよね。
ぶっちゃけ、宅浪だと人との接点がなさすぎて、人と上手くコミュニケーションとれるか心配になってくるんですよね。何よりさみしいし心細いです。
だからツイッターにしょっちゅうたむろしてるんですよね。なんかツイッターだと、「とりあえず誰か見てくれてるかも」って思えて、さみしさが紛れるんですよね。そしてすでにbotに頼らなきゃならないくらいまで人に飢えてます。だから昨日「智辯和歌山」で検索したんですけどね。
今の僕はホントに変な身分で変な立場で変な肩書き持ちなので、他の人からしてみれば「扱いに困る」「接し方に困る」ってのはわかってるんですけどね。
でもとりあえず僕は元気でやってます。それはやっぱりみんなに知ってもらいたいですね。
……模試の結果についても書こうと思ってたのですが、結構長くなってしまって、時間が時間なので、今日はここまでにしときます。
また模試については後日、ということで。