具体案10「体力と健康について」
具体案9「勉強方針:数学編」
具体案8「用意した物資」
具体案7「模試について」
具体案6「後始末について」
具体案5「勉強開始日程」
具体案4「必要なもの」
具体案3「決意表明」
具体案2「なぜ東大なのか」
具体案1「『背水の陣』について」
お久しぶりです。
更新しようしようと思いつつも、いろいろとやらなきゃならないことが他にたくさんあったので、なんとか今日更新する時間を作れました。
しかしこの記事書いてる時間は、実は高校の文芸部で集まる予定だったんですよね……
でも今、ちょっと身体がヤバい状態でして。
今というか、ここ数日ずっとですね。身体がかなーり危険な状態になっております。
こないだからツイッター云々言ってますが、今後の更新は、ツイッターでの自分の発言を見直して、それをまとめたものになるかと。いちいち「ツイッターで書きましたけど~」とか書かれてもウザいだけでしょうしね。
どういう風に身体がヤバい状態かというと、要は「体力がない」ってことです。
先週から勉強始めて、「三日坊主になっちゃまずい」とか言ってなんとかごまかしごまかしやってきてましたが、ついに一昨昨日あたりから身体にガタが来まして、ロクに活動できないくらいになっちゃったんですよね。
正確に言うと、「午前中起きられない」って状態なんですけどね。
実は毎晩それなりに夜更かしをしてしまっていて、朝起きるのも結構まちまちなんですが、とにかく今は「朝の光は絶対浴びる」と心がけて毎朝起きてます。
ですが、朝起きて雨戸開けて朝日を浴びるのはいいんですが、その後動けない。身体がだるくてほとんど起きていられない。
これは……まぁ甘えでしょうが、もしかしたら天気や気候とか、季節や時期とかも関係あるのかもしれません。
朝、とにかく寒い。「暑さ寒さも彼岸まで」とか言いながら、彼岸過ぎたのに毎朝寒くて起きられません。東北地方の方々すみません。
なんというか、言い訳なんでしょうが、寒いとマジで起きられません。情けない話ですけど、布団から出られません。これは単に「寒いから」というのもあるでしょうし、体力が落ちているのも関係してるかと思います。自分の身体に「起きろ」って命令を出しても、身体が動いてくれません。
うーん……意思が弱いだけなのかもしれません。意志薄弱。寒いのを吹き飛ばしてまで勉強しろって話ですよね。
ただ、自己弁護させてもらうと、今年の、というか僕の今後の人生でのモットーは、「ニア いのちだいじに」なんですよね。つまり身体・健康第一、ってことです。
これでもし、僕が体力たっぷりの状態で、「寒いから」って理由だけで布団から出られないのならば、それは確かに単なる「意志薄弱」でしょう。
金曜日あたりでは、「このままじゃダメだ」と思って動こうとしてましたし、実際動いてました。
でも、動けば動くほど、次の日余計に動けなくなって。
それで昨日あたりに気づいたんです。
「あぁ、今自分、すげー無茶してるな」って。
これはもしや、自己管理云々、自分に甘い云々の話じゃなくて、自分に自分の身体に鞭打ってるだけで、逆に自己管理になってないんじゃないか? って思ってしまって。
自己管理の定義は個人によって違うでしょうが、僕の場合、「絶対に身体に無理・無茶な真似はさせない」ってのが自己管理です。
ということは、身体が疲弊し切っているのにその状態でさらに動こうとしているのは、僕の中で言う「自己管理」ができていない、って状態なんじゃないか? って思ってしまい。
いえ、わかってます。自分の身体を休めることを全肯定していいわけではありません。しちゃダメだってこともわかってます。
ですが友人にも話したのですが、「今無理して身体をまたぶっ壊して、そのまま来年の大学受験に臨めない方が本末転倒なんじゃないか?」って。
この前の記事でも書きましたけど、いきなりトップギアで走り始めて、その勢いが最後まで続くわけがないです。絶対に途中でぶっ壊れます。
その点を踏まえて考えると、走るにしてもいきなりトップギアを入れるのではなく、少しずつアクセルを踏み込んでいくってのが大事なんじゃないかな、と。
僕は勉強計画立てましたけど、重大で致命的な欠陥を見つけてしまったんですよね。
あの計画は、「体調が万全の状態で実行することができて、初めて成功する」ってことに。
で、今の僕の状態を考えますと、どう考えても体調は万全とは言えません。むしろ欠陥だらけです。
半年そこらだけじゃなくて、この5年ほどまともに運動していなかった代償はあまりにもでかかったです。
体力がなさすぎる。
勉強始めてもう一週間以上経ちましたが、まともに勉強できたのはその半分の日数だけです。あとはほとんど勉強できてません。
同じことを書きますけど、もし僕の体調が万全でこの調子ならば、どう考えても僕の甘えで怠けでしょう。
ですがよく考えてみると、今の僕の体力では、むしろ半分ならもった方かと。
「疲れたらすぐ休む、無茶はしない」と最初に決めた以上、このスタンスは崩しちゃダメかと。少なくとも受験直前ギリギリまでは。
でも今は勉強を始めたばかりです。こんな初っ端から無茶して途中で身体ぶっ壊して来年の受験ができない、なんて事態になったらどう考えても本末転倒でしょう。
家族は「勉強できていない」という点だけをあげつらって今勉強していない僕を責めていますが、「いやちょっと待ってくれよ」、と。
こんな状態で無茶をし続けたらどうなるか、一番知ってるのは僕自身で、その次はあなた方でしょうに。
僕は嫌ですよ、また無茶して身体ぶっ壊して、また鬱になって引きこもって、とかなったら。そんなの絶対に嫌です。せっかく今やっと立ち上がり始めたところなのに、次また身体ぶっ壊したら、今度こそ完全に再起不能になるでしょう。嫌ですよそんなの。あんなの二度と御免被ります。
で、そのことを僕自身はなんとか学習したのに、なぜ家族みんなは気づいてくれないのか、って思うんですよね。
……なんというか、ウチの家族の内、特に親って、「無理しちゃダメだよ」みたいな、子供の身体を気遣うようなことは絶対に言ってくれないんですよね。いやそれ、親としてどうなのよ。子供の体調管理をほったらかしにしてた結果ああなったのに、そこから何も学ばず「しっかりやれ」って、ホントに親としてどうなのよ。
……ちょっと話逸れますし、育ててもらった親に対してこんなこと言うのは嫌ですけど、ウチの親、特にお袋は、親失格でしょう。ついでに教育者としても失格でしょう。親父も、そんなお袋に自分の子供の教育を完全に任せてたことを考えると、やはり親失格でしょう。
で、この前そういうことをさりげなくお袋に指摘したら、逆ギレされたんですよね。「お前は私という人間すべてを否定するのか!」って。
いや、全否定したつもりはないんですけど、でもまぁそれでも9割くらいは否定しました。「あなたは人間として間違っている部分が多すぎる」って。
いや、わかってますよ? 他人を自分が思うような理想の人間にすることなんてできるわけがないし、やっちゃいけないって。そんなこと僕だってブラバンの件でちゃんと学習してますよ。
でもさ、「親」ですよ? 「家族」ですよ? 「『赤の他人』じゃない」んですよ?
家族に対して、「ここをこうして欲しい」って言うって、普通に許されることだと思うんですけど。家族に対してすら不満を言えないって、おかしくないですか? 不満言って、それが一応筋の通った話なのに、それで逆ギレされるって、なんかおかしくないですか? 普通は何か落ち度を指摘されたら、直そうとするのが当たり前じゃないですか?
で、その点も指摘したいのですが、さすがにそこまで指摘するわけにはいかないでしょう。今の僕は親のスネを齧って養ってもらってる立場です。「血の繋がった居候」みたいなもんです。そんな立場の人間が偉そうに文句を垂れるのは、それは筋違いでしょう。
ですがこの数日、上の姉貴の結婚の話が持ち上がって進んでいくたびに、思うんですよ。
「ウチの家庭って、人様に見せて恥ずかしい家庭じゃないのか?」って。
つい先日まで、その「人様に見せて恥ずかしい」要素の筆頭だった僕が言う権利はありませんけど、姉貴の今の状態を見ていると、「ちょっとこれ、嫁に出すのが躊躇われるほどの娘だろ」って思うんですよね。
まぁいろいろと悪い要因が重なってこうなってしまったのは仕方ないです。仕方ないですけど、それをほったらかしってどうなのよ。僕が言えた義理じゃないですけど、上の姉貴にちと甘すぎやしませんか?
「厳しくしたらすぐに音を上げる」って軟弱な精神ってどうなのよ。姉貴の場合、ちょっと厳しくし過ぎると病気のこともありますんでダメですけど、それでもちょっと甘やかしすぎでしょう。
僕はこうなってから、今東京で暮らしてる下の姉貴のこと、ホントに気の毒に思うようになったし、ホントに尊敬するようになりましたもん。よくもまぁあんな姉貴と親の下で、あそこまで立派な人物になれたなぁと。
で、その下の姉貴はだいたい正月にしか帰ってこないんです。少し前に書いたと思うんですけど、下の姉貴はもう、実家に愛想尽かしてるんじゃないかな、って最近思うようになってるんです。「あんな家に帰りたくない」って感じで。
そこまで思わせる要因で一番大きいのは、どう考えても家で教育を任されたお袋でしょう。そしてつい先日までは、僕も大きな要因だったとちゃんと自覚してます。そして実家暮らしの上の姉貴のことも大きな要因でしょう。
なので下の姉貴は、もうウチでは親父としか連絡をとっていないようです。他の僕を含めた三人に何か話しても、何も変わらないって思われちゃってるんでしょう。まだおばあちゃんの方に連絡とってるくらいです。
それが僕としては恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて心苦しい。なぜ下の姉貴にこうまで思わせてしまうようになってしまったのかと、嘆かわしくてしょうがない。
だから僕はお袋に、「ウチがダメなのはお袋のせいだ」って言ったんですよ。そしたら逆ギレですよ。
……すいません、書いてたらなんかどんどんムカついてきました。僕が自分の立場もわきまえずワガママ言ってるのは、きちんと自覚してます。ですが、自分の姉に「あんな家、あんな家庭、あんな家族」なんて思われているって考えたら、その悪因であるお袋に腹が立って仕方ないです。……ちょっとこの記事書き終えたら、時間見て下の姉貴に電話してみようかと思います。その結果どうなるかまではわかりませんけど、ほったらかしにしておいていい問題ではないでしょう。
ちなみに親父はもう、すべてを諦めているそうです。達観というか、諦観というか。「もうこいつらに何言っても変わらない」って思ってるそうです。僕は、そう思われ続けたくないので、今こうして動こうと、変わろうとしてるんですけどね。
だいぶ話逸れましたけど、今僕がしなきゃならないことってのは、ホントにたくさんあるんですよね。
上にも書きましたけど、体力のこと。いくら体力がないからって言って、その体力でできることだけをやってたら、どれだけ時間かけたって東大合格なんてできませんよ。
もちろん東大に合格したいなら、勉強だってしなきゃならないですよ。そんなのわかりきってます。
ですが勉強するにしても、体力ないんですから、無茶するようなことがあっちゃダメです。無茶して身体壊すのが一番マヌケですから。健康にも気を遣わなきゃなりません。
健康といえば、僕は今どう考えても不健康な身体(肥満)なので、ダイエットもしなきゃならないでしょう。
まず、「勉強する」「体力をつける」「健康を維持する」「ダイエットする」ってのが、この一年でやらなきゃならないことでしょう。この四つの内、どれか一つに傾くだけで、四つすべてがダメになります。その結果、身体をまたぶっ壊して、せっかく立ち直りかけたのに元の木阿弥に、ってことになります。
じゃあこの四つにだけ気をつけていればいいのかって言うと、そうでもないでしょう。
この四つは、言ってしまえば「すべて自分のため」です。自分のためにしかならないことしかしない・できない人間は、どう考えても人間としてダメな部類に入るでしょう。僕はそんなの嫌です。
人のためになること、と言えば、一番身近なのが、下の姉貴のために家をなんとかすることでしょう。それと、おばあちゃんにいろいろとやって祖母孝行することもでしょう。あとは人間として大事なこととして、常識やマナー、当たり前のことを身につけていかなきゃなりません。
こういうことをお袋や上の姉貴に言うと、「そんなことよりお前は勉強しろ」って言われるんですけど、こういう人間として大事なことを「そんなこと」扱いしてる時点で、二人がどういう人間か、推して知るべしでしょう。下の姉貴はどう言うかはわかりませんけど、親父は特に何も言いません。何も言わないということは、少なくとも否定しているわけではない、と僕は解釈してます。
で、じゃあ家族だけでいいのかってなると、んなわけないです。
「人付き合い」が上手くできるかどうかで、その人間の一生が決まると言っても過言ではないと僕は思ってます。いくら頭が良くても、いくらスポーツ万能でも、人間として性格が悪ければ、人は寄ってこないでしょう。「世渡り上手かどうか」ってことです。要領のいい人間は、いくら学歴がなくても、いくら運動ができなくても、いくら外見が良くなくても、人間性で上手く世渡りしていくもんです。
僕は今の自分を見て、どう考えても「人間性に問題あり」なので、今なんとか変わろうとしてるわけです。こんなことをわざわざブログに書いてる時点でもう「人間性に問題あり」なんですけど、書かないで何もしないよりは、書いて何かした方がずっといいと僕は思ってます。
「不言実行」「不言不実行」「有言実行」「有言不実行」の4種類があると思いますが、この4種類を不等号で分類するとしたら、僕は「有言不実行<<<<不言不実行<<<[実行するかしないかの越えられない壁]<<不言実行≦有言実行」だと思ってます。
誤解しないでいただきたいのが、「有言不実行≠有言実行からの失敗」、ということです。「やろうとしない」と「やってみたけどできなかった」では天と地ほどの差があります。世の中結局は結果がすべてですが、結果が出るまでの過程は、誰も見てないと思っていても、実は誰かが見てくれているもんなんです。「がんばったのに認めてもらえない」というのは、客観評価ならばアリですが、主観評価ではそんなもの屁の突っ張りにもなりません。「失敗したけど自分はがんばったんだ、だからそのがんばりは認めてくれ」なんて自分から言う人間、浅ましくてさもしいとは思いませんか? そういうことです。
評価って、結局は自分がするものではなく、他人にしてもらうものだと思うんですよね。特に努力したかどうかの評価なんて。自分で自分の努力を評価って、それは「自画自賛」「自己満足」というやつですよ。滑稽でしかありません。
……今、壮絶なブーメランを投げてる感じが大いにしてますが、まぁ今後これが自分の顔に刺さらないようにするしかないですね。
そして、もう一つ大事なのが、「自分を殺さない」ってことです。
これはもう、僕は一番実感してます。自分のやりたいことを我慢し続けると、その人間は潰れます。これは「肉体の健康」ではなく、「精神の健康」というやつです。身体が元気でも、心が病んでいては、それは「健全」とは呼べないでしょう。身体がぶっ壊れてなくても心がぶっ壊れたらどうなるか、その実例が今ここにいるわけですから。
そして面白いのが、肉体と精神は大いに相関関係があるってことです。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」「精神は肉体に大いに影響を受ける」と言いますが、まさにその通りです。でなきゃ「心身ともに健康」なんて言葉、生まれてないと思いますよ。
精神を痛めつければ、肉体にも悪影響が出ます。肉体をボロボロになるまで放置すれば、精神も病んでしまいます。だから「本当の健康」ってのは、「肉体も精神も健全」ってことだと思いますよ。
じゃ、精神を健全に保つにはどうすればいいかというと、心を殺さないってことですね。自分の気持ちや感情、心を無理矢理押さえつけていれば、そのうち絶対に心が全部潰れます。ここにその実例がいますよ。
だからもう、無茶な我慢はしない。我慢し続けた結果の良いことなんて、普通の人間にはあまり多くはありません。やりたいことはやっていいんです。ただし、その中でも「他人に迷惑をかけるようなこと」は、我慢しなければなりませんけどね。それは「人間として大事なこと」というやつです。
じゃあ一体今のお前にやらなきゃならないことはいくつあるんだよ、ってことですが。
「勉強する」「体力をつける」「健康を維持する」「ダイエットする」「人付き合いを大事にする」「人間性を磨く」「やりたいことをやる」の七つくらいでしょうか。
この七つ、どれか一つでも欠けたり、どれか一つに傾倒してしまったりするようなことがあれば、全部なし崩し的にダメになってしまいます。ですが、「ダイエットする」は、「健康を維持する」をやっていればその延長線上にありますし、「人付き合いを大事にする」というのも、「人間性を磨く」の延長線上でしょう。「体力をつける」ことは「健康を維持する」ことに繋がりますし、「やりたいことをやる」のは、「人間性を磨く」をきちんとしていれば、「人付き合いを大事にする」にきちんと繋がり、節度を持てます。そして「勉強する」と「やりたいことをやる」は一見相反しているように見えますが、実は同じで、「やりたいことをやる」のならば、「勉強する」しかありません。また、僕の場合、「勉強する」が「やりたいことをやる」でもあります。
ということで、全部それなりに相関関係がきちんとあるんです。七つ全部が大事、というのも理解してもらえたかと思います。敢えて七つの内で重要なものを挙げるとすれば、「勉強する」「体力をつける」「健康を維持する」「人間性を磨く」ですかね。さほど減ってませんね。
ただ、一番気をつけなければならないことがありまして。
僕の場合、こういう風に「やらなければならないこと」がたくさん並べられると、どれから手をつけていいかわからなくなり、結局どれも手をつけられなかったり、全部同時にやって全部中途半端になるか、やろうとしてる最中に身体ぶっ壊すかのどれかなんですよね。
そのへんのバランスが、一番難しいです。だから今、頭を悩ませてるわけです。
で、こうして頭を悩ませていると、肉体的にもダメになってくる、ってことですね。
勉強し始めるまでは、「大丈夫できる余裕」なんて言ってましたけど、いざ勉強に向かってみると、やっぱり「言うは易し行うは難し」ですね。でもやるしかないんですよ。あれだけ豪語したんだから。
「二年計画にしてはどうか」とも言われて、一瞬迷ったんですが、やっぱり「一年でやる」というのは変えないでおこうかと思ってます。当初の計画を変えるのは、「計画倒れ」というやつですからね。
あとはもう本当に、健康に気をつけながら、体力もつけて、勉強するだけです。
やっと科目別の勉強方針の具体案を書けそうです。
あまり時間をかけたくないので、長くなり過ぎないようにしたいのですが。
では、数学からいきましょう。
【数学】
まず何よりも数学です。
数学ほど、がんばった結果が出る教科はありません。
「社会」もがんばればがんばった分だけ結果が出る、と言われています。そもそも他の科目もそうかもしれませんね。
しかし、数学はもっとわかりやすく結果が出ます。
「問題が解けたか解けなかったか」だけでわかります。
問題が解けたということはその分野を理解できているということです。
理解できているということは、がんばった結果が出ているということです。
暗記科目よりも、よっぽどがんばった結果が出やすい科目かと思うのですが、どうでしょう?
さらに、数学ほど「問題が解けた瞬間」が楽しい教科はありません。
あの瞬間の快感は何物にも代えがたい。もうホントに、すっげー気持ちいいんですよね。
ドラゴン桜では、「征服感を味わえる」って言ってましたね。ピンと来なければ、ゲームクリアした瞬間や、難しいパズルが解けた瞬間。あれに近いです。
そして、数学ができるようになると、勉強自体がめちゃめちゃ楽しくなるんですよね。
「問題が解ける!」っていう感覚を掴んでしまえば、その先の勉強も苦にならず、逆に「もっと難しい問題を解きたい!」となり、勉強が面白くなります。
勉強が面白くなれば、人間は勉強内容が頭の中にスイスイ入ってきます。
そうなるとどんどん勉強の効率が上がっていきます。だから最初は数学なんです。
ちなみに数学ができないと、勉強が面白くなくなり、効率も下がります。
それでも「やれ」と言われるのでやっていると、その内勉強が、「やらされている勉強」になってしまい、最終的には勉強のやる気自体がなくなってしまいます。
これが逆に「自分からやりたい勉強」になれば、もう本当に勉強が面白いです。
「勉強なんて面白いわけないだろ」と言われるでしょうが、別に勉強なんて、机に座って問題集開いてノートに解いていって、なんて定義には当てはまりません。
例えば、自分の趣味。自分の趣味なら、趣味のためにいろいろと調べるのは苦になりますか? ならないでしょう? 自分が「面白い」と思ってやってることなんですから、苦になるはずがありません。
でも、これだって大別すれば「勉強」に当てはまるはずです。「趣味のやり方を学ぶ」となると、趣味の「勉強」と言えるでしょう?
僕の場合たまたま、それが「机に座って問題集開いてノートに解いていって」、という「勉強」だっただけです。だから僕は勉強が面白くてたまらないんです。……ほとんどの人には理解できない感覚でしょうが。
ちなみに東大はそういう人間を求めてます。こんな状態だと、もう僕は東大以外に入りたい大学がないし、東大に入ると思ってます。そう確信してます。
で、勉強を面白いと思うようになるためには、「まず数学」なわけです。
ですが、頭が錆びついてしまっているので、いきなり問題集開いて問題を解き始められるか、となると、絶対に無理です。
じゃあ教科書か、となると、それでもまだ無理です。
どこから始めるかというと、「算数」の「計算」からです。
いや、馬鹿かと思うでしょうが、本当に算数の計算から始めた方がいいんです。それくらい頭が錆びついてるんです。
そしてこれは、数学全体にも言えることなんです。
「計算ミス」なんて絶対に起こしてはならない。いくら回答の流れが合っていたとしても、最終的に出た答えが計算ミスで違っていれば、それは0点です。厳密に言えば、特に東大ではこれは違うのですが、少なくとも「丸」はもらえません。
なので数学では、「計算」が重要なんです。
計算能力を磨くためには、もうひたすら基礎を繰り返すしかありません。何百回何千回何万回何億回と繰り返すしかないんです。それでもまだ人間はミスをします。それくらい計算能力をつけるってのは大変で、かつ重要なことなんです。
じゃあその計算能力とやらを磨くにはどうすりゃいいんだ、となって僕が用意したのは、「100マス計算のドリル」です。本屋の小学生参考書のコーナーでこれを手に取るのは、結構恥ずかしかったです。でもそれでもお釣りが来るくらい、この「100マス計算のドリル」には価値があるんです。その意味をすべて説明していたらいくら時間があっても足りないので、もう自分で調べてください。
ですがドリルなので、どうしても書き込みになってしまい、最終的にはすべての問題を解いてしまいます。
じゃあ新しいのを、となるかと言えば、そうでもありません。
数学にしろ他の教科にしろ、結局は「基礎の徹底」が重要と、何度も言っています。
「基礎の徹底」には「基礎の反復」が必要です。定期的に基礎をやり直さなければなりません。
別にそれは同じ問題でもいいんです。能力の習得には、同じことを何回も繰り返せばいいんですから。
でもドリルに書きこんでしまった、とならないように用意したのが、「コピー機」です。
この記事を書いてるノートパソコンと一緒に、ジャパネットたかたでプリンタを買いました。というか付いてきました。それにコピー機能があるので、それを使います。こうすれば、原本をなくさない限り、何回でも同じ問題をやり直せます。家にコピー機があるというのは、非常に便利ですね。……普通のコピー機ではなく、あくまで「プリンタのおまけ機能」なので、サイズには限界がありますけど。
100マス計算も、ただ解くのではなく、「正確さ」と「早さ」を追求し続けます。正答率とタイムを、毎回記録していきます。……正答率が100%じゃなかったら、すごい恥ずかしいですね。
ですがいつまでも100マス計算のドリルに頼っているわけにもいかないので、これは毎朝ウォーミングアップに数枚、程度にしようかと思ってます。算数のドリルをチンタラやっててもちっとも先に進みませんからね。
具体的に「数学」の勉強をするにあたって、どういうステップで先に進んでいくかというと、やっぱり教科書です。
なんというか、幸い中学高校時代の数学の教科書と問題集が家に残っていたので、それを活用します。「体系数学」のⅢ、Ⅳ、Ⅴと、それに対応した問題集です。Ⅵは僕は文系だったのでもらってません。
これもいきなりⅤから始めるつもりはありません。Ⅲから普通にやっていきます。
……時間が足りない? んな甘っちょろいこと言えるほど、数学は簡単な教科じゃないんですよ。
まあもちろんこれもチンタラやっててもダメなので、だいぶ飛ばしていきますけどね。……内容をではなく、スピードをですよ。
そして勉強するにしても、しっかりと手順を追ってやっていきます。
まず教科書の内容をしっかりと理解します。かけるべき分野には、本質が理解できるくらいにまで時間かけます。三角関数だとか微積、数列、ベクトルあたりは、もうどれだけ時間をかけても本質を理解するまで勉強を続けます。場合によっては、参考書まで利用します。
教科書の内容を理解したら、今度は教科書の例題を解く。そして練習問題を解く。
ですが問題の量が教科書だけでは圧倒的に足りないので、体系数学の問題集も利用するわけです。
体系数学の問題集も、各分野がそれぞれLEVELがA、B、Cに分かれていて、Aが基礎問題でBが応用問題、Cが発展問題です。
ということで、まずはLEVEL Aを徹底的にやります。もういちいち説明しませんよ。何十回も繰り返しやります。忘れた頃にまたやる、ってのを何回もやります。忘れていなくてもやります。
そしてLEVELもB、Cへと進んでいきます。
その分野を完璧にマスターするまでは、絶対に次の分野には進みません。それくらい嫌ってほどやります。「もう解き飽きた」ってなっても、やり続けます。特に忘れた頃に。
ですがこの体系数学の問題集、実は解答解説があまり親切ではありません。答えが問題集の最後に載ってるだけとか、解法も二言三言ヒント入れてるだけとか、そんなもんです。
これでは数学で重要な「回答の書き方」を学べません。
「数学はゲーム」「数学は芸術」とドラゴン桜では言ってました。まさにその通りです。
「数学はゲーム」というのは、もう説明はしません。ですが、「数学は芸術」というのは、説明します。
「真に美しい回答」ってのは、もはや芸術的ですらあります。「ここまで無駄のない洗練された回答が書けるのか」と感動を覚えるほどです。……これは、まぁ人によりけりですが、少なくとも僕は「真に美しい回答」を見たとき、感動を覚えます。「数学の美しさ」ってのがわからないと、ちょっと理解してもらいにくいので、これはちょっと説明のしようがありません。人の「感性」によるものですから。
ですが、数学では、回答は美しければ美しいほど評価されます。これは事実です。
美しい回答を書くには、美しい回答を見て、それを真似なければ始まりません。
そこで利用するのが、「チャート」です。
「チャート」は素晴らしい。もうね、あれほど使える数学の参考書と問題集はない。いちいち説明しますが、解答解説が詳しいし、本質の理解に非常に使えるし、問題量もちょうどいいし、解答冊子が分厚くてしかも別冊になってるあたりが本当に素晴らしい。なぜ素晴らしいかまでは、自分で調べて考えてください。
ですが、それでも体系数学の問題集とチャートだけでは、その内物足りなくなります。
というか、チャートを解いているだけでは、実際の入試問題には立ち向かえません。
なので用意しました、実際の入試問題を集めた問題集。「文系数学の良問プラチカ」です。
これも問題量がちょうどよくて、解答冊子が分厚くて別冊になってます。というか、解答冊子が問題冊子の5倍くらいの分厚さがあります。つまり問題集のほとんどが解答冊子なんです。これ見て惚れました。
できるだけ多くの入試問題に触れ、解き方を知って覚えて活用していきます。
というわけで数学の勉強のまとめです。
まず、毎日100マス計算のドリルをコピーしたものを繰り返しやります。
そして同時進行で、体系数学の教科書で理解を深めていきます。
理解を進める上で、体系数学の問題集も利用します。まずLEVELはAから始めて、何回も繰り返しながら、B、Cへと徐々に進みます。
それだけでは足りないので、チャートも活用します。初めは黄チャートですが、物足りなくなってきたら青に移ってもいいかもしれません。というか実際青チャートも持ってるんですが、なぜか「数学ⅡB」ではなく「数学Ⅱ」なんですよね。「ⅠA」はちゃんとあるんですけどね。
チャートだけでは入試問題は解けないので、「文系数学の良問プラチカ」も使います。
注意しなければならないのが、「前の分野が完璧になっていない限り、次のステップには進まない」という点です。これは他の科目にも言えますが、特に数学ではそうですね。
これは分野に限らず、利用する教材にも言えます。まず100マス計算のドリルを、次に教科書とその練習問題を、問題集のLEVEL Aを、B、Cを、黄チャートを、青チャートを、そして「プラチカ」を、となります。過去問? んなもんもっともっと先です。プラチカですらまだまだ先なのに。
あと、参考書は基本的に買いません。分厚いし詳しすぎるし正直邪魔なので。どうしてもわからない分野のみ、利用します。これも他の分野にも言えますね。数学の場合は数ⅡBの範囲のものですね。
新しい教材を新たに買うくらいなら、今ある教材を何十回もやって完璧に仕上げた方が絶対にいいです。当然、僕は「良い教材」しか用意していません。他のものはあまりいりません。それくらい厳選しました。
あと一つ、数学を勉強するにあたっての注意事項。
数学は「午前中」にやります。
人間の脳ってのは、午前中は数学の勉強に適してるんです。これはもう、科学的に立証されてますし、受験界でも常識でしょう。それくらい午前中は数学を徹底的にやります。他の科目をほったらかしにしてでも数学は午前中にやります。ですがそれだと脳は飽きるし疲れるので、そうならないようある程度の工夫はしますが。
脳のメカニズムに合わせて、しっかりと勉強します。
勉強方針の具体案、数学編は以上です。たぶんこれは今後そうそう変わらないかと。
他の科目も書きたかったのですが、意外と数学に時間がかかってしまいました。でもそれくらい数学は重要です。なので後悔はしていません。
他の科目は、またおいおい書いていきます。次は英語、そして国語、社会、理科の順で書いていきますね。
今日こそ、勉強方針の具体案を書いてしまえればいいのですが。
……しかしツイッターでも言いましたけど、もし具体案をすべて書き終えてしまったら、僕はどうなるんでしょう?
いや、受験勉強に専念するようになればいいのですが、それではなんかこう……よくわからないけど、何か物足りない。ブログで書くことがなくなってしまった、というのは、なんだか変な喪失感がします。
だから本当は、いつまでもこうして「具体案書けないー」とかグズグズ言いながらも、ちびちび書いていった方がいいんですけどね。
でもそれじゃ、僕は約束を破ったことになる。それは僕の最も嫌いな行為の一つです。
なので書きましょう。書き終えてしまったら、その後どうするかはまた考えましょう。
とりあえず用意した物資について書いてしまいましょう。
・ストップウォッチとタイマー
どちらも絶対に必要です。しかも安物ではいけません。
ということでめちゃめちゃいいのを買いました。スポーツ用品店で、スポーツ専用の、ほぼ最高級のを買いました。
いろんな機能がついてますが、非常にシンプルです。
まずストップウォッチ機能ですが、何が優れているかというと、ラップタイムも測って記録することができます。トラックを走る時とかなんかで、一周にどれだけのタイムがかかったか測り続けられる機能です。
この機能を何に使うかと言うと、「一問にどれだけの時間をかけたか、また、最終的にすべての問題を解くのにどれだけかかったか」というのを測るのに使います。
ストップウォッチは、単純に「どれだけの時間がかかったか」ってのを測るためですね。
普通のストップウォッチでもよかったのですが、こういう便利な機能がついているものがあるのならば、そっちの方がいいですよね。
タイマー機能。これはもう説明しなくても大丈夫かと思いますが、一応。
勉強には制限時間というのがあります。試験時間とかそうですね。
そういうときに、「残り時間はどれだけか」ってのを知っておかなければならないわけです。受験会場では時計が設置されていないので、自分で時計を用意しなければなりません。
家で勉強するときなんかは、部屋の時計なんかを目安にするかと思いますが、それでは微妙に曖昧になってしまいますし、タイマーのアラームがなければ、「時間が過ぎていたのに気付かなかった」なんてことにもなりかねません。
というわけでタイマーも。
このタイマーにも結構こだわりました。
当然ですが、99分59秒までのタイマーではダメです。東大の試験は150分まであるわけですから、99分では足りません。なので99時間59分59秒まで設定できるものを買いました。
「そんなに長い時間使うわけねえよ」とか言われるでしょうが、「丸3日勉強し続ける」なんて状態になったとき、72時間測れるタイマーがあった方が便利じゃありませんか? ……まあ、普通はこんな状態にはしませんが。やるとしても3時間勉強し続けるとか、それくらいでしょう。
タイマーにも便利な機能がついているものを用意しました。「ダブルリピートタイマー機能」です。
これはどういうのに使うかというと、スポーツではおそらく、「インターバル」を挟んだ練習なんかで使うんでしょう。例えば3分やって1分休憩、んでまた3分やって1分休憩、みたいな感じかと思います。
この3分と1分、それぞれにタイマーをセットできるんです。3分経ったらアラームが鳴って、同時に1分のタイマーもカウントダウンを始める。その1分のアラームも鳴ったら、今度はまた3分のタイマーがカウントダウンを始める、といった具合に。それを最大100回まで回数設定できます。当然「回数設定なし」というのも可能です。
これももう説明する必要はないかと。同じように、勉強にも「インターバル」というのを作るためです。
が、3分やって1分休憩とかでは、勉強ではさほど使えません。なのでもっと時間を伸ばして、2時間やったら20分休憩、とかそれくらいでもいいかもしれません。
この「ラップタイム記録機能」と「ダブルリピートタイマー機能」両方のついたストップウォッチを買ったわけです。
どう考えても競技用ですから、めっちゃ高かったです。
でもこういうのって、最初にやっすいので始めてしまうと、どうしてもモチベーションが上がりにくいもんなんです。
「こんだけ高いのを買ったんだから、しっかり活用しなきゃ」と思えるようになるんです。
だから呆れられながらも、わざわざスポーツ用品店で、ほとんど最高級のを買ったわけです。
ちなみにお値段8000円。これより高いのは、もう「ライト機能つき」とか「完全防水機能つき」とかそれくらいしかなかったです。ライト機能も防水機能も、勉強に使うんだからあったって仕方ないですしね。
でもこれも、店頭になかったのをカタログで探して、わざわざ店の方で取り寄せてもらいました。
「この店にあるストップウォッチで一番いいのを頼む」と言って、出されたものが気に入らなかったので、カタログ出してもらったんです。どんだけ横柄な客やねん。
いよいよ無駄には使えませんね。しっかりと利用しなければ。
・手帳
これはドラゴン桜読んでて、「あ、これは利用せねば!」と思って用意したものです。
いちいち説明しますが、毎日どんな勉強をしたかを記録していくわけです。毎日毎日。
で、それを積み重ねていって、入試本番の日に「これだけやったんだから大丈夫」と手帳を見て安心するためです。
受験においては、「自信」というのはすごく重要、という話はしました。そしてこういう、「目に見える形での自信」ってのはすっごい重要なわけです。
この手帳にもこだわりました。
いいもの、丈夫なもの、書けるスペースが広いもの、かと言って「手帳」なのだからあまり物々しかったりでか過ぎたりするものはダメ、ということで、これもでかい百貨店の文房具店で選んで買いました。
一週間単位で書けなかったのが少々残念ですが、どうせ僕は予備校にも学校にも行ってないわけですから、曜日はさほど重要でないことに気づきました。書けるスペースは非常に広いです。やっぱりいいものなのでお値段も結構。1680円。ですがすでに愛着持ってたり。
・大量のノート
なくなれば買い足していきますが、僕は今回3種類のノートを用途別に用意しました。
一つは普通の大学ノート。罫線の入ったやつ。これは問題を解くのに使います。数学や英語の問題とか。
もう一つは、大学ノートだけど、めちゃめちゃ分厚いやつ。これは何かを覚えるために使います。英単語とか古文単語とか。「書いて書いて書きまくる」ですね。薄いよりは分厚い方が使いやすいし安心できるし、使い切った後の達成感も段違いのはずです。
最後の一つは、大学ノートですが、中には何も書いていません。罫線もありません。真っ白のノートです。いわゆる「自由帳」ですね。これは何かをまとめるのに使います。社会とか英文法とか数学の内容理解とか、そういうのに使います。何かを理解するには、資料を読むのも大事ですが、実はそれだけでは足りず、「自分で自分なりに要約してみる」というステップを踏めば、理解がさらに深まります。なので「真っ白のノート」なわけです。
・大量の紙
計算用紙です。当然真っ白です。真っ白ですが、僕は完全な真っ白よりも、少し汚めの色の方が好きです。
というのも、あまりに真っ白すぎると、逆に何かを書きにくいからです。新しいスケッチブックをおろした時に、最初のページが真っ白だとどうしても綺麗に使いたくなって、なかなか自由に好きな絵を描けない、ってのは結構あるかと思います。これはノートにも言えますよね。ノートの最初の1ページ目だけ、特に一行目が文字がめちゃめちゃ綺麗とか。
こういうことに陥らないように、僕は「できればわら半紙みたいなのをお願いします」って文房具店で頼んだんですが、あまりいいのが見つからず、「計算用紙」としっかり銘打たれた紙を出してもらいました。これなら「これは計算用紙」と割りきって、自由に書けます。なので買いました。これはめっちゃ安かったです。
・辞書(電子辞書も)
どちらかだけでは足りません。辞書は、英語は紙の辞書、国語は電子辞書を使います。
英語はアルファベット順になっているので、近くに関連語句が載っていることが非常に多いです。電子辞書ではなかなかこういうのが利用できないので、紙の辞書の方が使えます。
逆に国語辞典は、紙の辞書だと、いちいち単語を探していても、やっと見つけたと思っても時間と労力が異常にかかったり、同音異義語が多すぎてわからなくなったりします。関連語句を見つけると、さらにそれも調べるのに時間が……となってしまいます。その点電子辞書では、関連語句にリンクが貼られているのですぐに飛べます。漢字もしっかり記されてます。広辞苑・漢字辞典・古語辞典・慣用句辞典・和歌辞典など、様々な辞書が入っているのも魅力的ですね。なので国語は電子辞書を主に使います。
当然ですが、どちらも場合によっては逆を使うこともあります。なのでどちらかだけでは足りないんです。
……もうね、いい加減教科別の具体案を書かせてください。
今から郵便局行ってきますんで、帰ってきたら教科別のを、今度こそ書きます。
さて、やっと教科別の具体的な勉強方針を記事にできる時が来ました。
長かった……ホントに長かった……
しかしこの方針を先に書いても、おそらく理解されなかったんじゃないかと思ってます。
「自分はどういう理念で動いているのか」ってのを示してからじゃないと、具体的な勉強方針なんてまったく理解されず、「なんでそんな勉強するの?」となっていたはずです。
なのでこの1週間以上、ずーっと自分の思想と理念をだらだらと書いていたわけです。
いやもうホントにね、書いててすっごいつまらなかったです。たぶん読んでる方も死ぬほどつまらなかったと思います。
しかしこの勉強方針をやっと記事にできるということで、もう今までの苦労がすべて吹き飛びます。
えーっとこういうのなんて言うんでしたっけ、カタルシス? フラストレーション? そんな感じだったかと。
「やっと繋がった!」と思っていただければ、僕は嬉しいです。
前置きはともかく。
まず、東大二次前期試験まで、およそ11ヶ月。
センターまで、およそ10ヶ月。
これはちゃんと理解しておかなければなりません。
焦りはしません。「焦る必要はない」と何度も言ってきましたからね。
しかし11ヶ月というのは、短いようで意外と長いです。というのも、「東大文Ⅲ合格」という目標のみでは、どんなにがんばってもモチベーションなんて保てるわけがないからです。
モチベーションの維持については、前の記事で「東京大学新聞を利用する」と書きましたが、あんなものただの誤魔化しです。「なんとなくモチベーションが上がる気がする」ってだけです。でもまぁ、「プラシーボ効果」というのもありますし、ないよりはマシだろう、ということで利用します。
ということで、もっと簡単にモチベーションを維持するにはどうすればいいかというと、「東大文Ⅲ合格」なんて曖昧で漠然とした雲の上のような目標ではなく、もう少しはっきりとしていて具体的で手近な目標を立てればいいわけです。
僕は今後「勉強すること」を「走ること」に例えることが多くなるでしょうが、それが一番わかりやすいかと思うからです。なのでまぁ聞いてみてください。
「東大文Ⅲ合格」なんてのは、もう何百メートル先にあるかわからないような、でもその異様な高さだけはわかってるハードルです。ハードルというか、もうロッククライミングの壁と呼んだ方がいいようなハードルですね。
いきなりそんなハードルを越えるために走れと言われても、普通は無理です。心が折れます。
なので、その「東大文Ⅲ合格」というハードルの前に、「その一つ後のハードルよりちょっとだけ低い、少しがんばれば越えられる程度のハードル」を、順番に大量に設置していくわけです。今自分が立ってる地点まで。
で、目の前のハードルをひとつずつ確実に飛び越えていけば、最終的に「東大文Ⅲ合格」というとんでもないハードルも、越えられるようになるわけです。
……理屈としては合ってると思うのですが、どうでしょう?
つまりこれが、僕のこの一年の勉強方針ってわけですね。抽象化すると、こういうことです。
が、「ひたすらハードルを飛び越え続ける」のも、だいたいは途中で心が折れます。「あとどれだけハードル越えりゃいいんだよ……」となるわけですね。
なので、「チェックポイント」を用意します。「今これだけハードル越えてきて、あと残りはこれだけだよ!」ときちんと数で教えてくれるチェックポイントですね。
このチェックポイントこそが、「模試」です。
この「模試」、活用しまくっていいんです。だっていろんなことを教えてくれますから。
(以下、最初は文章にしていたのですが、わかりにくくなったので箇条書きに変更してます)
・自分が今までどれだけハードルを越えてきたか、つまり「今の実力はどれだけか」
・残りのハードルの数、つまり「東大文Ⅲ合格のために、今の自分に必要な勉強」
・飛び越えるのに時間がかかったハードル飛び越えられていないハードル、つまり「自分が苦手とする科目・分野」
・他の人間が現在「東大文Ⅲ合格」というハードルを越えるために今どのへんを走っていて、自分はその中でどのくらいの順位か、つまり「自分の現在の全国順位」
・そのチェックポイントを通過した人間の平均タイムを計算して、その数値を50として自分のタイムを考えると自分の数値はいくつか、つまり「現在の偏差値」
・余計なお世話ですが、今のペースでハードルを越えていて、最後のハードルを時間内に越えられるかどうか、つまり「現在の合否判定」
こんなにたくさんのことを教えてくれるわけです。これを活用しない手はありません。
なので、僕は模試を大いに利用します。
そもそも僕は宅浪なのですから、こうやって模試を利用するくらいしか自分の今の実力を知る方法がないんですよね。
ちなみに、何度言われようと、「今の状態では予備校には行きません」。行くとしたら、冬期講習か直前対策講習くらいですかね。それくらいしか行きません。時間もお金も無駄ですから。
ただ、最近はZ会なら利用するのも悪くないかな、とは思ってます。まぁこれは後述します。
しかし模試を受けるにしても、ただ闇雲にあれもこれもと受けていても仕方ありません。いろんな場所にあるチェックポイント全部に顔を出していたらキリがないからです。
なので受ける模試は、もう全国統一模試と、東大模試だけです。他は一切受けません。
当然ですが、「受けっぱなし」はダメです。チェックポイントを通過して今の状態を教えてくれたのに、「ふーん、そうなの」で終わらせちゃダメですよね。受けて、チェックポイントの結果を見て、そこからさらに自分を高めなきゃ意味がありません。これは要注意ですね。
とまあこんな感じで、とりあえず最初のチェックポイントで今自分の状態がどれくらいなのかを知るために、まずは一番近い模試に向けて勉強していきます。
……当然ですが、チェックポイントでのタイムを伸ばす努力は怠ってはいけません。怠るわけにはいきません。また、チェックポイントで結果がよかったとしても、その後努力を怠ってもいけません。
「模試」ってのはそういうもんです。結果に一喜一憂せず、今の状態を見て常に努力を続けられるか、そのためのものなんですからね。
一番近い模試は、具体的な日程はまだ新年度になっていないのでわかりませんが、おそらく5月末頃に行われる河合塾の「全統マーク模試」かと。そしてその後は6月末の「全統記述模試」、そこから先は全統模試を受けつつ、東大模試も受けて、ドッキング判定を見ながら、勉強方針を随時変更していきます。
つまり、今の段階では、「最初の模試までにどういう勉強をするか」くらいまでしか決まってないんです。
ですがその勉強も、結局はどれも「最初は基礎」です。
偏差値を上げるにはどうすればいいか、ってのがすべての受験生の共通であり究極の悩みでしょうが、偏差値を上げるには、結局「基礎」をやるしかないんです。
基礎を徹底的にやれば、「基礎学力」というものが身についてきて、偏差値も上がり、さらに安定もします。
なので結局は「基礎」なんです。「基礎」をおろそかにした状態で「応用」や「発展」をやっても、まったく偏差値は上がりません。そういうことです。
……おい、結局科目別の勉強方針じゃなくて、「模試について」の記事になっちゃったぞ。
いやもうホント、早く科目別の勉強方針書かせてください。
次! 次行きます! もう今日はあんま時間に余裕ないけど!
今日は非常に寒いです。
比較的暖かい地方である和歌山でもこんだけ寒いんですから、東北の方は一体どうなってるんでしょう。
ただ、そのー……
僕はもう、あまり今回の震災による被害についてのニュースは、積極的には見ないでおこうかと。見るとしても夕食の席でとか、朝の新聞の見出しだけ見ておくとか、その程度にとどめておこうかと。
というのも、この前からツイッターでたびたび警告されてたんですが、震災の情報、特に被災時の映像や被災者の姿を見続けていると、「PTSD」になる危険性がある、と言われています。
PTSDについての説明は僕は精神科医ではないので詳しくはできませんが、要約すると、「精神的ダメージを受けた事象によって、その後の生活に支障をきたす」みたいな感じです。
もっと具体的に言うと、僕の場合、例の津波の映像で精神的ダメージを食らった、と書きましたよね。あれをいつまでも引きずっていると、そのことばかり記憶に残ってしまい、本当に精神的にダメになってしまう、ということです。
わかりやすく言えば、大別すれば違うんでしょうが、「PTSD」ってのは「トラウマ」みたいなもんです。
トラウマ、と聞くとさほど重大なものには思えないでしょうが、PTSDの場合、本当に命の危険性があります。
僕も少々、軽いPTSDになりつつあるので、こうしてあまり震災について触れないようにしているわけです。震災で心を痛めるのは人間としてとても大事なことですが、それも行き過ぎると、震災で直接の被害を受けたわけではないのに、自分も精神的にやられてしまう、ということです。
これは特に、小さい子供や女性、お年寄り、そして僕のような「精神的に弱い人間」は気をつけなければなりません。「幼少期のトラウマ」と聞けば、深刻さが伝わるかと思います。まして命の危機に陥ったようなトラウマです。今回の震災で小さいお子さんたちが、深刻な精神的なショックを受けているかと思います。痛ましいことです。
僕も軽いPTSDになりつつある、と書きましたが、本当です。少々、地震に神経過敏になり過ぎている部分があります。一昨日の静岡での地震でも、随分と大騒ぎしてしまい、ブラバンの友人に叱られてしまいました。
また、具体的な症状も出つつあります。「睡眠障害」です。
ツイッターでこの数日、「夜中に目が覚めた」なんてことをときどき書いてますが、以前はこんなことありませんでした。夜睡眠薬を飲んで眠れば、朝までグッスリ、って状態がずっと続いていたんです。
それがこの数日で、「夜中に目が覚めるようになった」ということは、例の震災で、特に津波の映像が僕の心に何か影響を与えてしまったと考えるのが自然です。
また、冒頭で「もうあまり震災の映像は見ない」と書きましたが、これもPTSDの症状のひとつです。震災について触れようとしないでいるのは、そのトラウマとなったものから回避しようとしているということです。
……参ったなぁ。やっと鬱がマシになってきたかと思えば、今度は軽いPTSDか……これも薬物療法と認知療法が必要らしいです。……次回の診察で、残念な報告をしなければなりませんね。
まあでもホントに、僕が現在こういう状況になっている以上、みなさんは僕と同じようにならないよう、大切な人の無事が確認できたら、極力震災の情報は得ない方がいいかと思われます。知っておかなければならないことですが、知りすぎるとダメになる、ということです。深刻に考えすぎるとダメですよ。
できる限り。明るい話を書いていきたいですね。これはもう不謹慎とかじゃなくて、みなさんのためでもあるし、僕自身のためでもあります。あまりふざけたことは書きませんが、少なくとも明るい話は書こうかと思います。
では、明るい話を。
昨夜、やっと勉強を開始する日付が決まりました。どうしてその日付になったかは、このひとつ下の記事を御覧ください。
じゃああと三日しかないわけですが、その間にやらなきゃならないこと(つまり後始末)を、リストにでもしておきましょうか。
・大学へ退学願を提出
・高校時代の担任の先生に、再受験するという旨の手紙を書く
・東京大学新聞の申し込み
・残りの具体案を書く
・部屋の掃除
うん、今日含めて三日あれば、全部できるでしょう。
大学への退学願の提出は、実際に大学にまで持って行こうかと思ったのですが、もう面倒臭くなりました。
郵送でもいいらしいので、もう郵送でいいや、ということです。
あまり今の大学に未練を残し続けると、これから先もずっと尾を引きそうなんで。スッパリ手を切ってしまいましょう。
高校時代の担任の先生への手紙は、今夜内容を考えて、書こうかと思ってます。
なんでわざわざ手紙なのか、電話でいいじゃないか、と親にも言われてるんですが、やっぱり自分がワガママをするというのなら、こういうことはきちんと形で示さなければならないな、と思うんです。「けじめ」ってやつですね。電話だとどうしても口頭になってしまい、「けじめ」らしくありません。僕自身が「文章」「言葉」を大切にしたいと言っている以上、やはり「手紙」が一番大事だと思っています。電話だったり、学校に足を運んで話をするというのは、その後で十分です。もちろんこの二つもやりますよ?
それに、こういうきちんとした公的(ある意味私的ですが)な手紙を書く経験というのはしたことがないので、この機会に経験しておきたい、というのもあります。相手が高校時代の担任の先生なので、多少の失敗も「初めてだから」ということで許してもらえるかも、という邪な気持ちもありますが。
東京大学新聞の申し込みというのも、実は結構重要です。
今回の「再受験して一年で東大文Ⅲ合格」という計画、いくら今の意思が強くても、絶対に途中でモチベーションが下がってきます。
そこでこの新聞の登場です。
「定期的に東大の情報を送ってもらえる」ということは、「定期的に東大へのモチベーションを上げることができる」ということです。モチベーションの維持について心配されていた方も、これである程度は対策をしてある、と納得していただければいいのですが。
特に「受験生特集号」に期待してます。この号は、だいたい毎年9月の第2週頃に届くようです。時期を考えると、最高のタイミングですよね。夏休みでだらけきった気持ちを、受験生特集号を読むことで引き締め直すことができる、ということです。たぶん発行側も、その辺りまで考えていると思います。
これを利用しない理由はありません。すでに見本誌も振込用紙も届いているので、あとはお金を払うだけです。……今年は、親のお金でですが。しかも結構な額ですが。……「先行投資」として、納得はしてもらっています。
残りの具体案を書く、というのは、今やってますね。これも今日明日中にはやってしまいたいですね。
もうわざわざ書かなくてもいいよ、なんて言われてもいますが、僕の方が、書いてしまわないと気持ち悪くて仕方ないんです。「途中でやめる」というのは、すっごい気持ち悪いんです。感覚で言うと、数学の問題を解いていて、ほとんど答えにまでたどり着いているのに、あと一つひらめきが足りなくて解けない、それが気持ち悪い、とそんな感じです。……この感覚、理解してもらえればいいのですが。
で、部屋の掃除。
うん。今僕の部屋、すっごい汚いんです。本が散乱してます。本棚がなくて、でも次々次々と新刊を買っていくから、置き場所がない。なので床に置くしかない、とそんな状態です。
いやまぁ、別にさほど困っているつもりはなかったのですが、今朝、足の踏み場を探しながら部屋の中でうろうろしていると、カーペットの隅を踏んづけて滑り転げかけまして。
「あ、こりゃ掃除しなきゃヤバいな」と思ったので、掃除します。この「滑って転びかける」というのも、今日でよかったです。ますます運命じみています。
で、この掃除は、19日にやろうかと思っています。理由もいくつかあります。
まずこの日は、前の記事で書いた通り、病院の診察の日です。その時に「今日帰ったら部屋の掃除します」と宣言できます。言質を取ってもらいます。「明日から勉強します」も言えますしね。
次に、すでに新しい本棚は購入してあります。かなり便利で収納能力も優れているのですが、組立式で、しかもでかいんです。一人で組み立てるのは少々大変ですし、危険です。19日は土曜日なので、家に家族もいますし、手伝ってもらえるかと。ついでに掃除も手伝ってもらって。
そして19日は、勉強を始める前日ですよね。その日に部屋を綺麗にしておけば、次の日から、綺麗な部屋で気分一新、さっぱりとした気持ちで勉強に臨めるわけです。
ということで、19日にやるというのは一石で何鳥も取れるということです。「少ない労力で最大限の効果を」というのは、僕の今後の生き方の指針です。
後始末についての具体案もだいたい書けました。この記事はここで終わっておきます。
いやもうホント、いい加減教科別の勉強方法を書きたいんですが、次です、次こそ書きます。お願いですから書かせてください。
どうも、なかなか更新できなくてすみません。
一応大事なことが決まったので、夜中ですが携帯から更新です。……最近携帯のフルブラウザが利用できないんですが、どうなってるんでしょう?
まぁそれはどうでもいいです。まず本題を。
勉強を始める日程ですが、「3月中に」とか「後始末してから」とか「手帳は3月29日からなんでその一週間前には」とか言ってましたが、先程決めました。
3月20日の日曜日から、勉強に取り組みます。
理由は単純です。その日が「大安」だからです。
「迷信だ」とおっしゃる方もたくさんいるでしょうが、迷信を信じて成功すれば「ああ信じて良かった」となりますし、信じず失敗すれば「吉日に始めておけば良かった」となるわけです。ちなみに信じて失敗すれば、「吉日なんて関係なく、単に自分の努力が足りなかった」って素直に認められます。所詮「迷信」なんですから。
もちろん、迷信を信じずに成功する人も、世の中にはたくさんいます。それはきちんと知ってます。
ただ、僕のように「人生かけた大バクチ」をやるなら、せめて始める日くらいは、大安吉日を選んでおきたいんです。
ちなみに近い内の大安の日は、20日、26日、4月の1日となってます。この3日は、非常にいい日程ですね。
というのも、この3日には、いろいろと重要な要素が詰まってます。
まず20日。この前日に、病院で診察を受けます。そのときに、「明日から勉強始めます。明日が大安吉日だから、縁起担いで」と宣言できます。
また、手帳が始まる29日から、一週間ほど前頃と、時期的にもピッタリです。
26日は、手帳が始まる3日前です。最後の見直しと、4月からの勉強に向けての新しい心構えができます。
そして4月の1日。新年度最初の日が大安とは、なんとめでたい。
こりゃもう運命なんだと思うしかないでしょう。運命に身を任せましょう。運命に無理に抗って失敗するよりよっぽどいいです。
だからこの大安の日程をカレンダーで確認したとき、僕はますます「自分は東大に入る運命なんだ」と確信しましたね。
具体的にどういうことをするかは、また明日起きてから書きますが、20日から26日までは、頭を「勉強脳」「東大脳」に変えます。いろいろ文献調べて(ドラゴン桜とか)、必要だと、重要だと思ったところを紙に書き出してまとめます。
あとは生活リズムを整えて、錆び付いてた頭に少しずつ油を差していきます。英単語古文単語の暗記ほか、基礎の計算なんかにも手を出したいですね。
あと、「マンガで勉強」ってのも買いました。日本史と政経、源氏物語とそれによる古文常識、なんて本も買いました。このへんをとりあえず一通りさらっと流しておこうかな、と。本格的な勉強は、社会は新課程の教科書が手に入ってからとします。古文は始めは単語と文法です。
とにかくとっかかりが大事なんです。別にマンガでもいいんですよ、間違ってさえいなければ。
ということで、20日から勉強を始めます。それまでに後始末、全部終わらせましょう。
【追記】2011/03/17/11:58
夜中にこの記事を書いたせいか、半分寝ぼけてて間違いだらけだったので、いろいろと修正しました。
では、今回のこの計画を遂行するにあたって、まずは必要なものと必要と思って用意したもの、まだどうしても手に入らないものについて書こうかと思います。
必要なものあたりから、ごくごく当たり前のものから書いていきます。
・時間
当たり前ですが、でもこればっかりはどうしようもないものです。次の東大入試まで、どんなにがんばっても一年待つ必要があります。
ここで「一年しかない」と思うか「一年もある」と思うかで、心理的なプレッシャーが段違いです。
ここは敢えて「まだ一年もある」と思うのが正解です。
理由は後述します。
・自信
昨夜ツイッターでポチポチ書いたんですが、人間には「潜在意識」というのがありまして。
自分が「できる」と思い込んでいれば、その潜在意識は「あれ、もしかして本当にできるのかも?」と思うようになり、いわゆる「潜在能力」というのが働いて、実際にできてしまうことが多々あるんです。
逆に「無理」とか「できない」って思うと、せっかく本当は成功させる潜在能力があるのに、潜在意識が「ああ、やっぱりできないのか」と思い込んでしまい、その潜在能力にふたをしてしまうことになり、潜在能力を引き出すことができなくなってしまうわけです。
なのに人間は、特に日本人は、「できない」と思うとそれを口に出してしまいがちで、それを謙虚だということで是とし、逆に「できる」と豪語するのは傲慢で自信家だと思われて非とされます。
ただ、「言霊」というのもありまして、物事を悪い方向に考えていると本当に悪い方に転がってしまい、良い方向に考えていると本当に良い方に転がることが多いんですよね。
だいたい、自分で自分の可能性を狭めてしまって何になるんでしょう?
確かに、自分の可能性を信じて、「自分は東大に受かる」とか「絶対成功する」とか言ってると、はたから見れば口だけの大ボラ吹き野郎にしか見えないでしょうが、別にウソでも出任せでもいいから言っていれば、なんとなくうまくいったりするもんなんです。
つまり、何事も「自分はできる」と思っていれば、潜在意識と潜在能力はそれに応えてくれるし、逆に「自分はできない」と思っていれば、潜在意識も潜在能力も、それに応えてくれません。
自分の可能性をまず自分が信じてあげなければ、一体誰が自分の可能性を信じてくれるんですか? そういうことです。
特にこういう大学受験なんかだと、ついついネガティブな発想になってしまいがちですが、ポジティブに考えていた方が絶対にいいんです。これは以前、「ポジティブかネガティブか」って話をしたときに書いたと思います。
ネガティブに「あと一年しかない」なんて考えていると、かえって焦って心理的に余裕がなくなり、プレッシャーやストレスに悩まされます。逆にポジティブに「まだ一年もある」と考えていれば、心理的に余裕が出るし、プレッシャーやストレスに悩まされることもなくなります。
スポーツでいい結果を出すためには、程よいプレッシャーとストレスが必要、って言いますよね。でも、そのプレッシャーとストレスがなくてリラックスし過ぎたり、また、プレッシャーとストレスがかかり過ぎても、どちらでも日頃の練習の成果が出せなくなる、と言われています。
それと同じことが受験にも言えます。勝手に自分で自分にプレッシャーかけ過ぎて、勝手に焦って自分の可能性狭めて、そのまま実力を発揮できずに受験に失敗するよりは、プレッシャーをあまりかけずに、割と気楽に構えていた方が、絶対にうまくいくに決まってます。
もちろん、プレッシャーやストレスが必要なときもありますよ。受験直前になってもまだ悠長に構えていては、絶対に成功しません。断言できます。
ですが、今は「受験直前」ではありません。むしろ受験が終わった直後で、次の入試まで、どんなにがんばっても一年待つしかないんです。一年という期間で、最初から焦ってても別に入試の日程が早まるでもなし、勉強で成果があがるでもなし。むしろ下がります。
そんな時期に「あと一年しかない」なんて言ってて、一体何の得があるんですか?
ただ、これが「残り半年」とか「残り4ヶ月」となってくると、話は別です。
そういう時期には、むしろ自分からプレッシャーとストレスをかけた方がいいんです。「残り半年」ならまだ気にする必要はさほどありませんが、「残り4ヶ月」くらいになった頃、つまり入試まで120日を切った頃から、カウントダウンなんかを自分でしていくと、程よいプレッシャーになって、かえって緊張感が増して受験勉強に専念できます。
人間のストレスってのは、超長期に渡るものでは、絶対に途中で潰れます。人間の集中力は90分しかもたないと言われるのと同じく、人間のストレスも4ヶ月以上続くと、ダメになってしまうんです。
というわけで、僕は「自分は絶対に東大に合格する」と思いますし、口に出して「言霊」も利用します。また、今の段階では「まだ一年もある」と気楽に構えて、残り4ヶ月になった頃からカウントダウンを始めるつもりです。
こういうのを「勝者の思考」というらしいです。成功する人間は、成功したあとのビジョンしか見ていない。失敗したときのことなんて考えない。そんなもの考えていたら成功するものも成功しないから。
あとは、こうして口酸っぱく「きっと合格する」と予言し続けていると、ホントに予言通りになったりします。
「自信」って、「自」分を「信」じるって書きますよね。つまり、自信ってのは悪い意味にとられがちですが、本当はいい言葉なんですよね。
だから、大いに「自分は成功する、その自信がある」って口に出していいんです。
・健康
言うまでもありませんね。上のストレスやプレッシャーもそうですが、受験で一番の敵はストレスとプレッシャーです。精神的にやられてしまうと絶対にダメなので(経験者は語る)、まずは精神的に余裕を持つこと。
また、ストレスや疲れがたまったときは、無理せず自分のやりたいように休めばいいんです。ストレスを発散したり、疲れて寝てしまっても、全然悪いことではありません。むしろ、その状態で無理に勉強していると、かえって勉強の効率が下がります。
そして休みたいときは休めと書きましたが、当然、「自己管理」というのも必要になってきます。
これは「自分を甘やかさない」というのも当然ありますが、生活リズムを乱さないように、ということです。
具体的に言うと、特に睡眠時間の確保は重要です。「寝ないで勉強」ほど脳に負担をかけるものはありません。ましてや僕はまだ病気が完全に治っていないわけですから、絶対に睡眠はとらなければなりません。
病気についてもそうです。病気にかかると、しばらく勉強ができません。かかってしまったときは仕方ありませんが、そうならないよう、病気の予防と、早期発見・治療が重要になってきます。
ですが、健康状態を維持しつつ睡眠時間をある程度削る必要も、受験が近づいてくると出てきますよね。
そういうときに重要なのが、「体内時計」の調整。
体内時計が狂っていると、当然ですが生活リズムがぐちゃぐちゃになってきます。勉強の効率も悪くなり、そうなっては元の木阿弥です。
そうならないためには、朝一定時間に起きて、起きたらまず朝日を浴びる。これだけで狂ってしまった体内時計は正常に戻り、生活リズムも整えられるんです。これはちゃんと科学的にも証明されてます。
このへんまでは、もうホントに当たり前のことですよね。
でも当たり前のことがまずできていないと、当たり前じゃないことはできません。いきなり当たり前じゃないことをしても、何の意味もありませんからね。
ここまで、というかこの数週間の僕の記事内容を見て、気づいている方も多数いらっしゃるでしょうが、このへんの考え方は、全部「ドラゴン桜」で書かれてます。
「漫画と現実をごっちゃにするな」と言われるかと思いますが、ノウハウが詰まってるものを利用して何が悪いんでしょう? そのへんのビジネスにおけるノウハウ書を読むのと、受験に関するノウハウ書としてドラゴン桜を読むのと、どう違うんでしょう? むしろイラスト付きできちんとストーリー仕立てになってて、頭に入りやすいですよ。
喧嘩腰になってしまいました。すみません。
……昨日ツイッターにも書いたんですが、東大合格を目指すためにドラゴン桜を読み返していると、いつの間にか無意識に利用しているテクニックや考え方が、いっぱい見つかるんですよね。「あれ、なんでこのテクニック、すでに実践してるんだろ?」ってのがいっぱいあります。前回読んだのはもう何年も前の話なのに、なぜかテクニックを習得してしまっているんですよね。不思議なもんです。
というか、読めば読むほど、「僕ほど東大に入るべき人間はいない」とまで思ってしまいます。東大生の思考とか、東大の求めている学生像とか、そういうのを説明されてると、「完全に一致」って状態になりますね。「偏差値30台から一年で東大合格」ってのも、なんか重なる部分があって面白いです。
なので、上で豪語した通り、口に出してしまいましょう。
僕は、一年で東大に合格します。そう確信しています。
……なんか、一年後に落ちてたら、この過去ログ引っ張り出されてm9(^Д^)プギャーされてそうですね。
そうなりたくないです。がんばります。
いろいろと調べてましたが、なぜ「まず勉強」ではなく、「まず調べる」ってスタンスで今まで過ごしていたかと言いますと。
僕は、『孫子』が好きなんですよね。中国の兵法書で、今でも余裕で通用します。ビジネスとか、他の何にでも活用できます。
その中の言葉に、「敵を知り 己を知れば 百戦危うからず」(要約)という言葉があるんです。
どういうことかというと、彼我の実力も知らずに戦いに挑むのは愚の骨頂、ということです。
まず相手がどういうものかきちんと調べる。そして、それだけでは足りないので、自分の実力もきちんと調べる。その上で戦いに挑めば、どういう立ち回りをすればいいのか臨機応変に対応できるし、絶対に勝てるということです。
で、まずは僕は東大の入試とはどういうものかというのを調べ、そのあと自分の今の実力もそれなりに把握しました。
そしてこんな状態で戦っても、どう考えても実力差がありすぎるので、あらかじめ負けないよう準備していたというわけです。
「テクニック」「ノウハウ」という名の武器をしっかりと用意した、ということですね。
さらに言うと、「いかにして少ない労力で大きな成果を上げられるか」なんてことも考えた上で、いろいろと準備してます。
「まだ一年もある」とか言いつつも、それこそ友人に言われた通り、実際に「一年しかない」んですよね。
僕だってさすがに再受験に何年もかけたいとは思いません。
なので効率よく。能率よく。質のよい勉強を。
あのー、僕、たぶん今後の人生で、「効率」とか「能率」とか「質」とか、そういう言葉ばっか使うと思います。
いやだって、無駄なこととか面倒臭いことに、わざわざ手間暇時間かけたくないじゃないですか。僕って究極の面倒臭がりですよ? いかに楽して東大入るかとかばっか考えてますよ?
そして東大がそういう学生を求めているのも事実です。馬鹿みたいに無駄なことに時間かけてそれに見合った結果出さない人間よりは、楽していい結果出す人間の方が使えるに決まってるじゃないですか。
いやまあ、これも「ドラゴン桜」の受け売りなんですが、間違ってないと思いますよ?
ただし、「ドラゴン桜を読むと東大に入れる気がする」というのは、半分しか正解ではありません。
もう半分は、「ドラゴン桜を読むから東大入れる」ということです。
東大は、「現存する知識や書物を最大限活用し、それを自分の中で自分なりにもう一歩進めた考え方を生み出す人間」を求め、育ててるわけですから。だから、「漫画だからドラゴン桜なんか読んでも意味ない」なんて言ってる人間は、絶対に東大には入れません。入ったとしても落ちぶれます。知識の詰まった書物を利用する能力がないわけですから、東大の中でうまくやっていけるわけがありません。
なので僕は「ドラゴン桜」を大いに利用しますし、他の書籍やネットの記事なども、ガンガン活用します。
その中で、「これは使える」と思ったアイデアを取捨選択し、こうして自分なりの形にしてるわけです。別にいろんなところからいいとこ取りするのも、全然悪いことじゃないと思いますよ。ただし、「ツギハギ」ではなく、「パッチワーク」でなくてはなりませんが。
さて、ドラゴン桜の受け売りを思いっきり語ったところで、さらに続きます。
まず東大受験に関して、知っておかなければならないこと。つまり「敵を知り」って部分ですね。
えー、東大、大変そうに見えて意外と簡単そうです。「簡単だ」とは言いません。だってまだ合格してないわけですから。合格したら、「東大楽勝」と思いっきり豪語してやりますよ。
それは置いておいて、東大の入試問題について。
どういう問題が出されるかと言うと、「本質の理解」と「基礎の徹底」なんですよね。
これはつまり、東大がそういう人間を求めているってことです。
いやもうこれは、僕が言うまでもなく、受験界では常識だと思いますよ?
だって、「ドラゴン桜」に書いてあったもん。んで僕もそれ読んで、納得しましたし。
「ドラゴン桜」に書かれている内容には、説得力があります。書いてある通りにして失敗したとしても、それは自分がきちんと内容を理解できていなかったということなので、もともとその人は東大には入れない人だったんでしょう。
このへんで、すでに決定的な違いがありますよね。「本質を理解しているかどうか」って点です。
書いてあることが納得できない、もしくは何も考えず鵜呑みにしているような人間は、東大から「NO」と言われるわけです。逆に、書いてあることを読んで、「当たり前じゃん」「それだけじゃなくてこういう方法もあるよ」と言えるような人間を、東大は求めてるんだと思いますよ。
でも「ドラゴン桜」は東大理Ⅰを目指す漫画、僕が目指すのは東大文Ⅲということで、結構な不安がありました。「ドラゴン桜」に書いてあることが文科でも通じるのか、って点でです。
なので、実際の問題を見てみました。東大のHPに行けば過去問も見れます。わざわざ赤本なんか買う必要もなく、ネットで見れるんです。このへん、僕は面倒臭がりですが、楽して効率よく情報を入手しているでしょう?
一番の不安要素は、「社会では具体的にはどんな問題が出されているのか」ってことでした。「東大対策wiki」でどういう問題が出題されているのかはある程度調べていましたが、実物を見てみない限りは、なんとも判断はできない。
見ました。社会だけじゃなくて、数学も国語も。
楽勝でした。
「楽勝」というのは、「今でも余裕で解ける」という意味ではなく、「こんなんちゃんと勉強すりゃ簡単に点取れるじゃん」って意味です。社会の大論述も、「一行30字の升目のみが書かれた長い答案用紙が配られる」って書かれてありましたが、実際の問題を見れば、「これだけで足りるの?」と言いたくなるほどでした。
英語は著作権の問題で公開されていなかったんですが、数学も国語も、当たり前のことしか聞いてきていませんでした。
本当に、「本質の理解」と「基礎の徹底」が求められてるんだな、と実感しました。この二つも、ちゃんと勉強すれば、簡単に身につきます。
その「ちゃんと勉強」ができるかどうかが一番気になっているかと思いますが……
いやまあ、僕は勉強好きだし、東大に入ってそこで勉強するためなら、受験勉強だってちゃんと勉強できますよ。勉強って、面白いですよ?
「本質の理解」はすでにできています。問題は、「基礎の徹底」ですね。
でも基礎なんて、何百回もやってれば絶対に身につきますよ。「基礎からやってたら間に合わない」って言いますけど、「基礎」で手抜いたら、城なんて簡単に崩れちゃいますよ。「基礎」って言葉の本質ですね。
応用なんてもっと先で大丈夫です。具体的にどれくらいの時期から応用に手を出すかというと……まあ、あんまり考えてないですね。
「応用」も「発展」も、基礎ありきですから、僕自身が「そろそろ応用にも少しずつ手を出してみるか」となってからです。その時期はわかりませんが、応用に手を出し始めたとしても、やっぱり基礎もやり続けると思います。「基礎を応用に変える」のではなく、「基礎に応用を増やす」って勉強の仕方ですね。
さらに言うと、「センターで足切りがあるからセンター対策を」ってよく言う人がいますが、逆です。「センター」の延長線上に「東大」があるのではなく、「東大」の延長線上に「センター」があるんです。足切りされずにセンター満点近く取った、けど二次ボロボロで落ちた、ってのは、東大入試をきちんと理解していない証拠です。
そもそも東大受けようって人間が、センターで躓くようなことはあってはならないんです。東大受けるなら、センターなんて楽勝でパスできなければダメなんです。センターは基礎で、東大も「基礎の徹底」が理念ですからね。センター対策なんて、秋以降で十分です。それまで徹底的に東大対策と基礎やってればいいんです。
だいたい僕、「立派な点数」で合格しようなんて思ってませんし。センター満点近く、二次もバッチリとか、そんな成績で入ったって、東大に進学したら何の意味もありません。
要は入れればいいんです。どんな方法使っても、「勝てば官軍」です。入ってさえしまえば、あとは東大で自由にやっていけばいいんです。
模試も積極的に受けていきます。今自分が全国でどれくらいの立ち位置にいるのかを定期的に知らなければなりません。予備校行かないんですから。ですが、受けるのも東大模試と、全統模試ばっかです。あとはセンター模試が余裕できたら、くらいに思ってます。模試の日程は、まだ調べてませんが。
勉強内容は、「手帳」にきちんと記録していきます。これもドラゴン桜で紹介されてた方法ですね。
模試の日程がわかれば、その模試をまず目標にして、勉強をする。手帳に模試までのカウントダウンをしてもいいかもしれません。それくらい一回目の模試は大事です。
そこから、その後のスケジュールを組んでいくつもりです。まずは一回目の全統模試、かな? それに標準を定めて、勉強します。
では、次の記事は科目別にどんな勉強法をするかの具体案を書いていきます。
選ぶ科目は。
二次は、英語・数学・国語と社会2科目なんですが、世界史と日本史にしようかと思ってます。単に地理がつまんないと思ってるからです。
センターは、英語(リスニング含む)・国語・数学ⅠAⅡB・世界史・『倫理、政治・経済』・生物です。
新しい科目『倫理、政治・経済』に不安しかありません。なんてったって過去のデータがないわけですから。
世界史は、単に面白そうだから。広く浅くしか出題されないし。
生物は、高校時代から生物しか受けていないってのと、物理や化学がまったく理解できないからです。典型的な文系脳ですね。
まあ、そろそろ夜になりましたし、ちょっとがんばります。
昨日からツイッターでぶつくさ呟いてます。
フォローはご自由になさってください。大したことは書けませんが。ついでに言うと、ツイッターの機能も、僕自身まだ把握し切れていないんですけどね。
こちらから勝手にフォローさせていただいたのは、やなぎなぎ様。
昨日くらいに書いた、震災時に自分の歌で少しでも人の心を癒せるよう、大した音響設備もないのに急ごしらえで曲を作って、ネットにアップロードした方です。
なんていうのかなぁ、こういうときって、一番悲惨なのが、人々の心が荒むことですよね……
治安が悪くなったり、自分が生き残るために他人を蹴落したり。
もし僕が今回の被災者の方々の立場になったら、一体どうしていただろう?
きっと今こうして自分でブログに綺麗事を書けているのも、僕の住んでいるところまで被害がなかったから。
でも、ちょっと考えた。
「自分には関係ない」なんて、絶対に思いたくない。
心を痛めている人がいるのならば、僕だってその心の痛みを共有して、少しでも心の負担を減らしてあげたい。
「被災地から遠い自分にできることなんて何も無い」なんて、言いたくない。
きっと、何か自分にもできることがあるはず。
自分の得意なことで、人の心を癒すことができたら、人を動かせたら、それはどんなに素晴らしいことだろうか。
僕がこうして文章を書くことで、言葉を紡ぎ出すことで、読んだ人の心に何か残せたら、どんなにいいだろうか。
本当にやるべきことは、こんな文章書いていないで、すぐにパソコンの電源切って、全国の節電に協力することだと思いますけどね。
でもそれは、何も考えていないのと同じ。
自分に他に何もできないというのなら、そうすべきだろうけど、自分に何かできることがあるなら、それをすべきだと思う。
僕が今自分にできることは、人々の心に、自分ががんばっている姿を見せること。
今まで20年以上人のために何かしたことなんてなかったけど、今は人のために何かしたくてたまらない。
やなぎなぎさんが歌をアップロードして、歌で人の心を癒そうとしたように。僕は歌を聞いて、癒されました。
僕は僕なりに、自分ががんばっている姿を見せて、それで人に立ち直ろうと思えるきっかけを与えることができたら、って思ってます。
一見すれば「無理」「無謀」「無茶」という「再受験で一年で東大合格」という計画も、もしも一年後、実際に僕が東大に合格していれば、きっと人の心に、何かを残せるはず。そしてきっと、この震災でボロボロになってしまった被災地の方々に、復興するためにがんばろう、って思わせることはできるはず。
「再受験で一年で東大合格」と「被災地の復興」では全然レベルが違うけど、程度は違えど、どちらも絶望的なことに違いはない。
なら、どう考えても簡単な方の「再受験で一年で東大合格」くらい、僕が一人でできなくて、どうやって被災地の方々の心を動かすことなんてできるんだ。
不純な動機とか建前とか、そんな汚い感情から来る言葉じゃなくて、僕の本心。
人の心を、言葉と文章と行動で変えたい。
この気持ちは、どんな状態になっても、絶対に変えたくない。この気持ちを変えるくらいなら、命を削ったって構わない。命を失ったって構わない。これが僕の「信念」。
「信念」のある人間の心は、絶対に折れない。自分の「信念」に従って動いている人間は、必ず成功する。
それに、東大に合格した後のビジョンも、なんとなく見えてきた。
すっごく難しいし、運も必要だけど、小説を書く作家になるのはもちろん、臨床心理士の資格なんかを取って、カウンセラーになりたい。
普段は小説で食べていくけど、今回みたいに大災害が起こったときは、それで心が荒んでしまった人々のもとへ行き、僕の命の限りを尽くして、その人達の心を癒したい。もしくは、災害でどうすればいいかわからなくなっている人々の先頭に立って、すべての人が助かるように動きたい。たとえそのために、自分は命を失うとしても。僕の命でそれ以外のたくさんの人たちの命が救えるなら、僕の命なんて安いもんだ。
「甘っちょろい」とか「青臭い」とか「綺麗事」とか「厨二病」とか「現実見ろ」とか言われるだろうけど、そんな斜に構えていたり、何もしない人間よりは、口に出して実際に行動に移せる人間の方が、よっぽど尊い。何もしようとしないのが、一番卑怯だ。
でも、僕は結局、言葉で人の心を癒すことしかできない。心を癒すことはできるようになるかもしれないけど、体の傷を治すことは、僕にはできない。
僕にはできないことをやってのける、医者や自衛隊や救助隊や消防や警察の人達って、すごく素晴らしい人達だと思う。
なら僕は僕にしかできないことを、精一杯やろう。
東大再受験の準備ですが、ほぼ整いました。
必要なノウハウやテクニック、心構えや知識、教材や物資などは、ほとんどすべて揃いました。
つまり外堀がもう、ほとんど埋まったということです。
明日からでも、もう勉強を始められます。
「明日から」、というのは、今日どうしても夜にしなければならないことがあるからです。
それでうまくいけば、僕はもう完全に決意と覚悟を固め、もう決してブレないと思います。
うまくいかなくても、もう決意と覚悟は固まっています。それをさらに固めることができるかどうか、ってだけです。
今夜一体どうなるかはちょっとまだわかりませんが、絶対にうまくいかせてみせます。
ただ、少しだけ心配なのが、これでまた向こう見ずになって、身体を壊してしまわないかという点。
「身体・健康・命の三つを大事にする」というのは、僕の今後の人生で絶対に頭の中に刻みこんでおかなければならないことです。この三つをどうしても使わなければならない時は、本当に使わざるを得ない事態になった時だけでしょう。そしてそんな事態には、絶対にならないようにしたいです。
今まで用意周到に準備を重ねてきたのも、そんな事態にならないようにするためでした。
今までもどかしい思いをされていた方、もう大丈夫です。今後少し低迷することはあるでしょうが、きちんと目標が定まった以上、これからはもう前に進み続けられると思います。
皆さんは、僕の状態を監視していてください。それはこのブログでもいいし、昨日から始めたツイッターでも構いません。昨日気づきましたが、ツイッターの方が、どちらかというと近況報告に使いやすいかもしれません。
ただ、今は時期が時期ですので、あまりツイッターでサーバーに負荷をかけるようなことはしたくないですね。まだ当分は、このブログをメインにします。
あと数日、本当にあと数日ですが、最後の後始末をいくつかしなければなりません。高校の担任の先生に手紙を書いて、今の大学に退学願を提出しに行って、ブラバンのみんなに決意表明をして、まだ書き終わっていない具体案と近況報告を書き上げたら、もう後始末は終わりです。勉強を始めます。
勉強は始めますが、やっぱりこのブログは続けます。
これは娯楽や息抜きでもあるし、みなさんに読んでいただいて定期的に監視してもらうためでもあります。
この「再受験して一年で東大合格」という離れ業をやってのけるためには、みなさんの協力が必要不可欠です。
「僕は一人ではない」「画面の向こうの人たちと一緒に勉強している」「残念な結果なんて報告できない」と思ってモチベーションを維持するため、どうかみなさんの力を貸してください。
同じような境遇の方や、同じく来年度受験生だ、浪人が決まった、なんて方が現れれば、「僕も負けないぞ!」ともっとがんばることができます。
が、「がんばりすぎ」というのは、あまり身体によくありません。健康にも、命にも関わります。適度に息抜きをしながらやっていこうと思います。
今回僕が用意した手帳、3月の29日から始まります。
なので、後始末にかかる時間などを考えると、その一週間前くらいからは、もう完全に勉強モードに入っておこうかと思います。これはあくまで目安ですが、「3月中に勉強を始める」と宣言した以上、この目安も大幅にずらすようなことがあってはなりませんね。
完全に決意表明をしたところで、具体案のこの記事を一旦書き終えます。
次は用意した物のリストと、勉強方針ですね。そしてそのあと全体の勉強方針を示して、科目別の勉強方針を記事にして、具体案は終わりです。
具体案の後は、滞っている近況報告もやってしまいましょう。でも実際のところ、近況報告なんて面倒臭いのでやらなくてもいいんですけどね。需要がなければもうカットします。
あとはもう、定期報告と近況報告、何か特別なことがあったときの報告。それでだいたい今後一年の更新内容は決まりですね。
では少々書くのに疲れてしまったので、ジャンプでも読んで少し休憩してから、また具体案の続きを書きます。もしかしたら、ジャンプ読んでる内に7時半になってしまい、片付ける羽目になるかもしれませんが、それはできれば避けたいですね……今夜の用事にも集中しなければなりませんし。
ちょっとだけ休憩して、再開します。
続きです。
……このペースだと、今日も近況報告は書ききれそうにないですね……
まぁそれよりこっちの方が大事なのでこっちを優先しますけどね。
次は、東大を目指すにあたって、どういう心構えが必要か、ということを書いていきます。つまり理念ですね。
僕が東大に対して、はたまた勉強に対して、そして人間というものに対して、どういう認識を持ってるかを書こうと思います。
まず目標は、「東大文Ⅲ」です。
なぜ文Ⅲかと言うと、まぁ文学部へ進むのに楽そうだから、って点でです。
文学部ならだいたいどこの大学でもあるじゃないか、と言われるでしょうが、僕は東大じゃないとダメなんです。
「やると決めたらとことんやる」ってのは僕の性格であり、たぶん今後の人生で変わることも、ほぼないかと思います。
どうせやるなら、てっぺんを目指す。妥協はしない。自分が満足いくまでやり続ける。
このへんは多分、もう僕の性格なんで、一生変わらないと思います。
これがたぶん、「僕らしさ」というやつなんだと思います。
友人に指摘されたんです。
「僕前と比べたら変わったでしょ?」って聞いたら、「いやー、まったく変わってないよー」って笑われました。
昨日の記事にも書きましたが、要はこの一ヶ月ほどで僕の何が変わったかというと、物事の捉え方だけなんですよね。
「物事を深く考えてしまう」っていうのが、僕の性格の、根本的な部分だと思うんです。
良く言えば深謀遠慮。悪く言うと、「深刻に考え過ぎ」ってことですね。
で、この5年間、僕はこの「物事を深く考えてしまう」っていう性格を、悪い方向に使い続けてたんですね。
深刻に考え過ぎて、頭がパンクしてしまった。自分の中で物事を悪く考えてばかりでは、自分の中に嫌な気持ちがどんどん蓄積されていくわけですから、心がぶっ壊れないはずがありません。
それで心が一旦折れてしまって、もう死にたい、と鬱まで患いました。引きこもりもしました。
正直もう、この5年間、後悔してもし切れません。
僕の考えでは、人間にとって一番重要な時期ってのは、「15歳~20歳の間」だと思うんですよね。
この5年間をどう過ごしたかで、ほぼ残りの人生を決めてしまいます。もっと言うと、高校生の間で決まります。極論を言ってしまえば、高校で勉強していい大学に入れるかどうかで、その後の人生が勝ち組か負け組か決まってしまう、ってことです。さらに正確に言うと、「リア充」か「非リア充」かが決まるわけです。
高校時代にイケメンで勉強できて運動できて部活で活躍して彼女いていい大学に進学して、とか言われたら、「勝ち組」と呼ぶのは少し古い呼び方ですが、どう考えても「リア充」でしょう。
リア充リア充言ってる人間は、つまりは僻んでるだけです。自分が非リアだからといって、リア充に嫉妬して僻んでネットで文句言ってるだけです。
僕もつい最近までは、そうでした。
もうね、高校生活なんて一生で一度しか経験できないのに、なんてもったいない過ごし方したんだろうなぁ、と後悔しまくりだったわけです。高校生活3年をほぼ全部棒に振ったわけですから。ブラバンも最後の文化祭でソロできなかったし、勉強も不登校やってたからロクにできなかったし、不登校だから友達少ないし、受験も失敗するし……
とまあ、つい最近まではこんなこと考えてたんですよ。非リアの考え方だったわけです。
が、最近になって、つまりこんな風に変化してからは、そんなのどうでもよくなりました。
高校生活を棒に振ったことを、後悔していないわけではありません。むしろ余計に後悔するようになってます。もったいないことしたなー、と今でも悔やんでますよ。
でも僕は、逆に考えれば、「普通の高校生」とはまったく違う経験をして高校3年間を過ごしたわけです。
高校3年間を普通に過ごした高校生と、高校3年間を不登校・引きこもりで過ごした高校生なら、後者の方が圧倒的に少ないわけです。
つまり僕は、「普通の高校生」とは違い、「引きこもりで高校3年間を過ごした高校生」の気持ちを、だいたい理解できるということです。不登校で引きこもって鬱になって、なんて高校生、あんまりいないでしょ?
だから僕はこの5年間を、悔やんではいますが、無駄な時間だったとは思っていません。
むしろ普通の人とは違う経験ができたんだから、ラッキーだったと思ってます。人生長いんですから、そんな貴重な経験ができたと思えば、5年なんて安いもんです。
これ自体、非リアの僻みにしか聞こえないでしょう。
ええ、僻みですよ。
ですが僻んで自分が何か変わるわけでもあるまいし。むしろ僻んでる間だけ、無駄に時間過ごしてるんです。人生長いと言いましたが、人生は短いです。そんな何の意味もないつまらないことに時間を費やすのは無駄だ、と言ってるんです。
今の僕は、「時間を無駄にする」というのが、すっごい嫌です。
僻むくらいなら、自分もリア充になるための努力をした方が、よっぽど建設的ですよ。
リア充リア充と言ってますが、「リア充」と呼ばれる人間は、「ただのDQN」「普通に生きてきた人間」「深みのある人間」の3種類くらいに分かれるんじゃないかと思ってます。
「ただのDQN」は、そのままの意味ですよ。何も考えずに生きてきて、まあそれなりに適当に楽しくやってるだけで、今後の人生についてはまったく考えていない、たまたま今成功してるだけの行き当たりばったりの人間のことです。要は「頭の悪い人間」です。一見楽しそうに生きてますが、いざ何かまずいことがあったときに、絶対に苦しみます。
「普通に生きてきた人間」というのが、僕が上で言ってる「リア充」の定義に一番近いですね。それなりに自分のことを考えて、自分の行きたい道に進んで、それなりの成果を出してる人間のことです。「普通」なので、常識に当てはまることであれば、だいたいは柔軟に対応できます。普通はこれで大丈夫です。
が、僕は「深みのある人間」の方がよりいいと思ってます。
「深みのある人間」ってのは、リア充の中でも少し特殊です。普通の人間がしたことのない経験をし、物事をよく考え、その上で自分なりの考えを持ち、そこから自分の行きたい道を選び、そこに進んでしっかり成果を出している人間のことです。
「普通に生きてきた人間」との違いは、「『自分』を持っているかどうか」です。自分しか経験していないことがあるので、普通の人間とはまったく別の考え方ができます。ただし、「普通ではない」という意味ではなく、「普通も知っている」という意味です。何か起こったとき、「普通」も知っているので、「普通に生きてきた人間」と同じように柔軟に対応できるばかりか、その人にしかできない対応の仕方もできるのです。つまり「頭のいい人間」です。こういう人が強い。
そしてそういう人間ほど、付き合っていて面白い相手だと思ってます。僕がしていない経験、しかも「普通ではない経験」をしているわけですから、非常に興味をそそられますし、人間的にもできた人が多いと思ってます。
さて、東大の話に戻りましょう。
このリア充非リア充の違いを当てはめると、基本的に東大生はリア充です。
「深みのある人間」の説明で、「頭のいい人間」と言いましたが、それは単に勉強ができるか否かという点ではなく、「上手く生きていけるか」「世渡り上手か」ってことです。人間関係を円滑に進められ、物事に臨機応変に対応できる人が「頭のいい人間」なのです。
「東大生の中にも馬鹿はいる」なんて言う言葉もありますが、それは僻みでもあり、事実でもあります。
が、日本の中では、東大生の方が少なくとも勉強して努力はできる、と判断することはできます。
そういう人間が集まる場所なら、「深みのある人間」の数も、少なくはないのではないでしょうか。
僕は人との出会いをすごく大事にしたいし、どうせ付き合うなら付き合ってて面白い相手がいいです。自分がしたことのない経験をしているわけですから、きっと僕とは違う考え方の持ち主でしょう。自分と違う考え方の人を意見を聞くって、すっごく興味深いですからね。
で、東大はそういう学生を求めています。「自分なりの考え」を持っているかを重視し、そういう人間ほど、将来今までにない発想や研究結果を作り出せると思っているわけです。
僕はどう考えても「普通に生きてきた人間」ではないので、今後、リア充の中でも、「深みのある人間」になれる可能性が、多々あるわけです。「ただのDQN」かどうかは、常識を知ってるかどうかの違いです。
「非常識な人間」という言葉を聞いて、どんなイメージを持ちますか?
「非道徳的な人間」とか、「秩序を乱す人間」とか、そういうイメージではないでしょうか?
「非常識」と「常識を知らない」では、同じようで違います。
常識の中に「非常識」があるんです。つまり「非常識な人間」というのは、「常識を知っていて、敢えて常識とは違う生き方をしている人間」のことなんです。
そしてそういう人間がダメかというと、そんなことはありません。
人類の発展は、大抵そういう「非常識な人間」が考え出した発想をもとにして生まれたものによってなのです。上に書いた、「将来今までにない発想や研究結果を作り出せる」というのは、そういうことです。
勉強なんか別にどこの大学でも、別に大学に行かなくてもできます。
でも勉強ができる環境が整っており、自分に合った大学となれば、もう僕は東大を選ぶしかないでしょう。
これが、僕が東大にこだわる理由です。
が、これは建前です。本音を言うと、「東大生カッケー」とか「優越感に浸れる」とか「東大なら実質三浪でも許される」とか、すっごい不純な動機です。僕が予備校行こうとしない理由も、不純でしたよね。あれと一緒です。
文学部狙いなのは、単に自分が小説とか歴史とかそういう文学が好きだからですよ。将来は文章で食っていきたいと思ってますし、そういう勉強ができるかも、っていう安直な理由です。今の大学は、文学よりも「書くこと」を学ぶ場所だったんで、辞めるんです。
で、東大に入れれば、普通にリア充として世間から見てもらえるので、東大狙って勉強するわけです。ついでに「再受験して一年で東大合格」っていうオプションも付きますし。
東大はそんな甘い考えで入れるような場所ではないんでしょう。だからこうして、甘い勉強の仕方をしないように、具体案を書いてるわけです。
東大がそんなに甘くないことくらい知ってます。でも動機なんて不純でいいんです。清廉潔白な感情で生きてる人なんて、そうはいないでしょう。そしてそういう人間ほど、つまらない人間だったりするんです。
いろんな経験をしたい。いろんな人と会いたい。いろんなことを学びたい。
そういう動機の裏に、こういう「不純な動機」、つまりほんのちょっとの悪ふざけがあった方が、人間として面白いわけです。そういう人間は、人を楽しませることができるし、自分も楽しめる。
僕もそんな人間になりたいわけです。
昔みたいなお堅い人間でいるよりは、今みたいにいい加減で適当に生きてる方が、よっぽど楽しいですよ。
これが、「物事を深く考えてしまう」っていう性格を、「良い方向に使ってる」ってことです。
嫌なことを考え続けているよりは、いかにして楽しく笑って生きていけるか考え続けていた方が、楽しいし精神的にもいいに決まってます。
そんな風に吹っ切れました。
根っこの部分は変わってないけど、性格は変えられないけど、考え方なら変えられる。変えて良い方向に進めるなら、変えた方がいいに決まってます。「いやー、まったく変わってないよー」ってのは、そういうことです。考え方を変えただけです。
ちょうどいい長さになったので、ここで具体案2、「なぜ東大なのか」についても、一旦切ります。
具体的な勉強方針については相変わらず示せていないという。
次の記事からは書きますんで。
あとこの記事を書いてる間に東北で大地震があったそうで。
焦ってブラバンの友人に連絡取りまくってたんですが、「ちょっと騒ぎすぎ」って言われました。
東北の方、大丈夫でしょうか?
【追記】2011/03/11/19:34
すみません、次の記事を書こうとしてたのですが、7時半を目安にしてパソコンは片付ける、と決めたので、次の記事はまた明日の朝になります。
ブログの更新が携帯のフルブラウザではなくパソコンで、しかも朝になった理由も、ここで言っておきます。
携帯のフルブラウザだと、単純に容量が10000byteまでしか書けないからです。
それに全角スペースも使えませんし、書きにくいし、変換能力もイマイチです。
何より、携帯でポチポチやるのが面倒だからです。
パソコンなら使い慣れてるので、書きやすいし、容量も余裕があり、変換も大丈夫です。
んで朝にするようになったのは。
今後、ブログを更新すると決めた場合、その日の夜に書き始めるのではなく、次の日の朝にします。
夜に書き始めると、ブログってのは考えながら書いていくので、夜寝る時間が遅くなります。
なので、記事にする内容を前日の夜にあらかじめメモしておきます。そして次の日朝起きてからそのメモを見ながら記事にすれば、「考えながら書く」という手間と時間が省けます。次の日の朝に更新すれば夜更かしなんてありえないし、きちんとやめるタイミングを決められれば、すぐに勉強に移れます。
ただ、朝起きてすぐは頭が数学の勉強に向いているので、朝起きてすぐ、というのはあまりしたくありません。今はこうして朝起きてからずっと記事書いてますが、本格的に勉強を始めると、更新は朝ではなく昼過ぎあたりになると思います。
今こうして朝から記事にしているのは、それこそ「本格的に勉強を始めるため」です。
あらかじめ具体案をこうして文章にしておけば、勉強の効率もグッとよくなります。
最初だけです、こうして朝から記事書くのは。
あらかじめ万全の準備をしておいてから勉強を始める、というスタンスでやります。
では、また明日具体的な勉強方針と科目別の勉強法を書いていきます。
近況報告もだいぶ後になりそうですね……まぁ、もう少しお待ちください。
近況報告の内容よりも、今後の具体案の方が先に完成してしまったので、先にこっちを記事にすることにします。
これを読んでいただいて、僕なりにどんな風に東大再受験を考えているかを、少しでも理解していただければいいのですが。
ですが、その前に。
大事なことを言っておかなければなりません。
これは僕にとって大事なことですし、絶対に忘れちゃいけないことです。
でもこれも、読んでくださっている皆さんにも心がけてもらいたいと思っています。
今朝、とある夢を見ました。
どう考えても「ドリームキャッチャー」の力です。
いつだって、僕に大事なことを考えさせてくれる「きっかけ」を、夢という形で与えてくれます。
この夢を見なければ、きっと絶対に失敗していたと思います。
どういう夢だったかと言いますと。
「自分を信じて突き進み続けていて、いざ何かにぶち当たったとき、本当にどうにもこうにも、にっちもさっちも行かない、八方塞がりの状態になって、とうとう精神的にやられてしまって死んでしまう」、という内容のものでした。
……どう考えても、昨日僕が書いた記事を元に、「そこで少し考えなきゃいけないよ」と思わせるようにしているとしか思えません。
昨日僕は、「背水の陣」の話をしましたよね。で、「逃げ道を用意しておくのはネガティブな発想」で、「受験においては無理にでもポジティブにならなければならない」、といった内容のことも書きました。
で、この夢を見て、心にグサリときたもの。
「ポジティブに、楽観的に考える」「『背水の陣』を敷く」「成功を信じる」ということは、一見何もかもうまくいきそうな物言いですが、その裏には「向こう見ず」「命知らず」「成功しか信じようとしていない」という意味も含まれている、ということです。
「背水の陣」の本質の話をしましたが、もっと本質を考えてみると、「そもそも『背水の陣』なんて敷かなくてもいいようにすべき」というものです。
昨日のあの記事を書いた時点では、僕はわざと「背水の陣」を敷いて成功させようとしていました。が、もっとよく考えれば、「背水の陣」なんて敷かない方がいいに決まってます。
このことに気づいて、僕は再び「命の危険」を感じました。
昨日の記事で「『背水の陣』は相手に何の策もないことがわかっていなければ敷いてはならない、逆に何も考えず『背水の陣』を敷いた者は大抵負ける」、ということを書きました。
僕は、何も考えずに「背水の陣」を敷こうとしていた、ということです。
もう、目が覚めたときめちゃめちゃ怖かったですよ。体が震えてましたもん。
これを夢で見せてくれたドリームキャッチャーに、本当に感謝しなければなりません。
そして、「夢でよかった」。
いやはや、なんというかもう、ドリームキャッチャー様様ですね。
「失敗したときのことは考えない」なんて言ってましたが、「失敗したときはどうなるか」という「if」を、想像ではなく、寝ている間の「夢」として、実感させてくれたんですから。
ホントに、「夢でよかった」。
やっぱり、頭の中での想像と、「夢の中で実際に体験する」では、全然違いました。だから、目が覚めたときめちゃめちゃ怖かったし、体が震えてたんです。
で、起きてからしばらくは、「背水の陣」をやめようか、つまり大学辞めて再受験なんかやっぱりやめようか、とすら考え始めていました。「命あっての物種だ」、ということで。
だけどもう、後には引けないんです。前に進むか、ここでリタイアして死ぬか、どちらかしかもう残されてないわけです。
死ぬのは絶対嫌です。「命あっての物種」です。
以前死にたい死にたいばかり言ってた僕が言うのもおかしいですが、今の僕は、死ぬのがめちゃめちゃ怖いです。命をめちゃめちゃ大事にしてます。
だけど死ぬのが嫌ならば、前に進むしかない。リタイアで死ぬよりは、前に進んだ方が、まだまだ生きられる可能性があるわけですから。
でも何度も言ってますが、この「再受験して一年で東大合格」という計画を成功させるためには、ハンパな覚悟ではできないわけです。それこそ、「命をかける」くらいできなければ。
「人生賭けた大バクチ」ですからね。リスクはもとより承知、ですがハイリスクハイリターンです。
「費用対効果」、「コストパフォーマンス」の話はしたかと思います。
そして、「東大合格」というのは、どれだけの費用をかけても、それ以上に効果が返ってくるものだと思っています。それについての説明も、また次の記事でします。
が、費用をかけるにしても、その費用をできる限り少なくすることは、可能です。「東大合格」というのは、効果の大きさは、かけた費用の量に必ずしも比例するわけではありません。
むしろ、いかにして費用を減らして合格できるか、というのを考えられる人間を、東大は求めています。
つまり、「時間を長々とかけてじっくりと実力をつけて確実に合格」する人間よりは、「短時間で密度の高い勉強をして楽に実力をつけて合格」した人間の方が、より求められている、ということです。
今年の入試は終わってしまいました。
次の入試を受けるには、また一年待つしかないんです。
そして前述の通り、一年で合格した人間の方が、二年かけて合格した人間よりも優秀だ、と東大では思われています。
ならば一年で合格する方がいいに決まってます。
しかし何度も言う通り、「再受験して一年で東大合格」なんていう計画は、並大抵の覚悟では成功させられません。
なので、「命をかけて」勉強するわけです。
当然ですが、実際に命をすり減らすような真似は、絶対しません。僕はきちんと命がいかに大事が、きちんと理解していますからね。
「たった一年」です。これは後ろ向きなニュアンスの言葉ではなく、前向きなニュアンスで言ってます。
僕が80まで生きるとして、今二十歳だから、残りの人生は60年。
その内の「たった一年」、命をかけるだけで、残りの59年がバラ色になるわけです。
「たった一年」くらいなら、命をかけて勉強するのも決して無茶ではありません。
東大には、突飛な作戦は通じません。あくまで「学問の王道」を行く必要があるわけです。
しかし、ただ「学問の王道」を行くだけでは、とてもじゃないけど一年では合格できません。
なので敢えて、「突飛な作戦」『も』使うわけです。「学問の王道」を行きつつ、敢えて「突飛な作戦」も踏まえます。
その「突飛な作戦」というのが、「背水の陣」というわけです。
正直、「背水の陣」を敷くのはとても怖いです。でも、この記事を書いている間に、『孫子』の解説書を読んで、「背水の陣」の正当性について理解し、自分に言い聞かせ、自分なりに納得しました。きちんと解説書にも、「背水の陣」について書かれていました。
なので、怖いですが、「背水の陣」を敢えて敷きます。僕の大好きな、「理論」で裏付けされている方法だからです。この「理論」が自分の中できちんと定まっていなかったから、ドリームキャッチャーは「夢」で「背水の陣」の危険と本質を教えてくれたのでしょう。そして理論で裏付けされているということを、僕に調べさせて、安心させようとしてくれたのでしょう。
ドリームキャッチャー、やたらと強調していますが、実際にかなり重宝しています。
親父はそこまで考えて買ってくれていたのかはわかりませんが、僕はこの「ドリームキャッチャー」に、絶大な信頼を置いています。
いつも、僕が突っ走りかけたときに、「ちょっと待て」と「考えるきっかけ」を与えてくれるからです。前回話題に出した2月24日にも、「再受験」のことをしっかりと考え直すきっかけを与えてくれましたしね。
将来僕が有名になったとき、僕は絶対にこの「ドリームキャッチャー」の話をしようと思っています。
それほど、僕にとって「ドリームキャッチャー」というのは、人生を変えるきっかけになったわけですから。
さて、では具体案の内、「背水の陣」については一旦この記事で終わります。
続きをまた書きますので、しばらくお待ちください。