そういえば親父のパジャマの柄も、牛柄だったなぁ。
「読む人を楽しませる」気持ちが大事。
「地震」と「津波」と「原発」の怖さ。
バカの方が幸せだった。
では、今後について。
今後のブログについて。
ドリームキャッチャー。ありがとう親父。
スティーブン・ジョブズの演説
やってから気付いても遅いんだよ。
常々思っていたことですが。
やっとブログを書き上げて 風呂に入ってさっさと寝るかと
一階の風呂まで 降りてくと
二階の自分の寝室で とっくに寝てるはずの親父が
何故か起きてて 新聞読んでた
「こんな時間まで なんで起きてる?」って聞いたけど
返答よりもその前に 「いつまで起きてる 早く寝ろ」
そんなに叱られちゃったから 軽く言い訳しながらも
「ごめん」とちゃんと謝っといたけど
ふと軽く思いついたから ちょっと試しに聞いてみた
「親父もしかして俺が寝るのを ここでずーっと待ってたの?」
「そういうわけじゃあ ないけどよ」って 無愛想な返事だったけど
きっとおそらく間違いなく いわゆる“そういうわけ”だろな
だから俺も負けないように 顔は見せずにボソッと一言
「親父 いつもありがとな」
返事はなかったんだけれども たぶん俺らはこういう関係
お互い照れ屋で不器用で 端から見ればギクシャクだけど
割と心は 通じてる
これからずっとで 今後もずっと
親父はおそらく同室の おかんのいびきで目が覚めて
起きてる僕に気がついた
だから今夜ばっかりは おかんのいびきに感謝かな
そんな感じでいつもと違った ある初夏前の丑二つ
どうも、今日も日中からの更新です。
相変わらず地震のニュースが途切れることなく流され続け、死者も千人を超え、行方不明者もまだまだたくさんいます。マグニチュードも詳しい計算の結果、8.8から9.0まで上がりました。
また、「自分は生きているけど大切な人の安否がわからない」という状態も、かなり続いているようですね。
宮城・岩手・福島あたりが一番被害の大きいところらしいですが、避難場所が点在していて、しかも携帯も繋がらないし、電気も止まっているわけだから、情報がまったく手に入らない。
避難場所に自分の名前を書いて、壁に大きく張り出している映像もよく映しだされていました。
「大震災」……ということになっているそうですね。
朝のニュースでやってたんですが、例の原発の事故、僕が昨日書いた記事の内容以上に、とんでもないことになってるみたいですね。チェルノブイリやTMIも引き合いに出され、過去の原発事故と比べても、見劣りしないほどのとんでもない大事故になっているそうです。
福島のあたり、不謹慎ですが、当分人が住めなくなってしまうんじゃないでしょうか。今でもチェルノブイリのあたりは、人が近づけないらしいですからね。被爆者の方々も、少しずつ増えてきているそうです。
そもそも「被爆」という呼び方についても、朝のニュースで議論されてました。放射能を浴びるのが「被爆」ならば、極端に言ってしまえばレントゲンやX線写真、そもそも日光に当たることすらも「被爆」になってしまう、と言っていました。
日本人が「被爆」という言葉に敏感になるのは、広島・長崎の原爆があったからでしょう。
……放射性物質ってのは、僕は文系なのでちょっと化学の知識はないんですが、大量のエネルギーを生み出す新しくて画期的な手段なんでしょうが、それがこういう結果になってしまうとは、なんとも後味が悪いですね。科学を追い求めれば、人間は科学に呑み込まれる。智者は智に溺れる、なんて言葉もありますが、それを人類全体で体現しているような気もします。
で、この大震災で新しく感じたこと。
web拍手でもコメントをいただいたんですが、いちいちこんなのでダメージ食らっていたら、他の人を助けられません。いえ、この大震災でダメージを受けた方々を侮辱する意味はありません。ですが、僕は今和歌山の内陸部あたりに住んでいますが、和歌山が比較的安全だからといって、こんな事件で自分一人心痛めてそれに酔っているくらいなら、一人でも多くの人を助けるために、何かすべきだ、と思うようになりました。
ここ数日、「添削風の上から目線だ」という指摘を受けましたが、改めます。とにかく、自分が思っていること、感じたことを書く。相手を論破するとかそんな意思はすべて捨て、自分に何ができるかを考え、それを書いていく。
批判を受けることも、今後も何度もあるでしょう。
しかしここ数日の自分のブログの記事内容を見ていると、もう心底恥ずかしいです。
そもそも僕が東大に行きたいのは、「不純な動機」と言いましたが、もっともっと深く突き詰めると、「自分が書いた小説で人を楽しませたい、そのためにはたくさんのことを学ばなければならない、だからたくさん勉強ができるかもしれない東大へ行く」というものだったんです。
これはもう、「不純な動機」だとか「建前」だとか、そういうのでは一切ありません。
僕のこのブログのあり方も考え直しました。
そもそも僕は、このブログで何を伝えたいのか?
自分の意見を一方的に書いて、反論をことごとく潰していく、なんてそんな目的じゃなかったはずです。
「読んでいる人を楽しませたい」、これが僕がブログを書き始めて、書き続ける理由のはずです。
ブログですら人を楽しませることができないのならば、自分の書いた小説で人を楽しませることなど、絶対に無理です。
むしろこういう、人々の心が痛めつけられているときにこそ、もっと楽しませられるような記事を書くべきなのではないか?
そう思うようになりました。
……ついさっき、僕の好きな同人歌手さんのツイッターをチラッと見たんです。
その人は、本当にこんなときでも、「人々の心を癒したい」という気持ちで、充電済みのノートパソコンで録音し、アップロードしていました。
大した音響設備もないのに、「自分の力でなんとか人々に元気を!」という意思で、自分でできることを考えて、自分の歌を録音したのでしょう。
心打たれました。
……僕も、この記事書いている途中で、ツイッターにアカウント作りました。ブログにも貼りつけました。
ちょっと見にくいですが、一応それなりの形にはなっているかと思います。
今までツイッターのことを、「ログの残る失言発生器」なんて呼んでましたが、それは僕の心がけで、どうにでもなるはずです。
どうか、このツイッターでまた他の誰かに、元気を分け与えることができたらいいのですが。
急遽予定を変更して、まず昨日起こった「東北地方太平洋沖地震」について書こうと思います。
昨日の記事で、「騒ぎすぎ」と言われた、なんて笑い話みたいに書きましたが、地震のニュースを夕食の席で見ていると、「これはちょっと騒がなきゃならないレベルだろう」となりまして、昨日の記事で東北を襲った地震についての話題を軽々しく扱ったことを深くお詫び申し上げます。
国内観測史上最大のマグニチュードということで、ほとんどのニュースでこの地震の話題が取り上げられています。というか、どのチャンネルでもこの地震についてのニュースしかしていません。
マグニチュード8.8というのは、具体的にどれくらいの数値かというと、関東大震災(M7.9)と比べてやっと3倍、阪神淡路大震災(M7.3)に至っては千倍ほどの力で地震が起こったということです。定義に当てはめると、マグニチュードが1増えればエネルギーがだいたい30倍くらいになるんですが、実際の被害を考えると、この数値はあまりアテにならず、数値だけでは測りきれないものなんでしょう。
阪神大震災でもあれだけの被害が出たんですから、もう今回でどれくらいの被害が出るか、もう想像もつきません。
で、ニュースを聞いている内に、だんだん精神的にやられてきてしまいまして。
死亡者数とか行方不明者数とか、そういうのももちろんきつかったんですが、一番きつかったのが、津波の映像でした。
陸地にまで津波が押し寄せてきてて、車道を走ってる車たちが、なんとか逃げようとしてるんです。津波はかなりの勢いで、いろんなものを次々と飲み込みながら、飲み込んだものがぶつかり合って津波の中で火を出しながらでも、どんどん迫ってきてるんです。
そしてその内の一台が、とうとう津波から逃げ切れずに、飲み込まれてしまったんです。その映像を見て、かなりの精神的ダメージを食らいました。
たった今まで車が動いてたってことは、中に人が乗ってたってことなんです。
そしてそれが津波に飲み込まれたんです。
……ということは、中で運転していた方は……
「がんばれ、がんばって早く逃げて!」って祈りながら見てたんですが、ちょうど飲み込まれる直前に、車が一瞬動けなくなってしまったんです。そしてその一瞬で、津波はあっという間にその車を飲み込んでしまったんです。
……運転しいてた方の焦りと恐怖がありありと映し出されてて、それを見てると、もう心が張り裂けそうになるほど痛みました。
そして、「ああ、これが人が死んでいく瞬間か」と思ってしまったんです。
それで今かなり精神的ショックを受けてダウンしてます。
人が死んでいく瞬間なんて、できれば見たくなかった。
あの飲み込まれた車の中の方は、一体どうなったんでしょう。
その映像だけではありません。
同じく津波で車が何台も何台も飲み込まれて流されている映像。倒壊した建物や地面の映像。炎上している製油所の映像。
電車や交通機関が止まり、家に帰れなくなって、駅や避難所で過ごしている人たちの姿。
画面上部に途切れることなく流され続ける、津波の高さについてのテロップ。
「なくなってしまった」「地図から消滅してしまった」、集落の情報。
そして、淡々と読み上げられていく、亡くなった方々の情報。
……すでに何百人もの方が亡くなってて、行方不明者も数百人規模でいますが、この記事を書いている今この瞬間にも、命が失われていき、「命のともしび」も、僕の知らないところで消えつつあるんです。
津波の映像、これは多分、僕の記憶に一生残り続けると思います。いや、残し続けなければならない。
「人が死んでいく瞬間」とはどういうものか、記憶に残し、脳裏に焼き付け、心に刻んでおかなければならない。
「真実を知る」というのは、そういうことだ。真実ってのは残酷で、人間にはどうしようもないもの。そこから目を背けていても、人間は強くなれない。
……なんだろうなぁ、つい先日のニュージーランドでの大地震、あれを他人事と思ってた、自分が情けない。「明日は我が身」って、どうして考えられなかったんだろう。これは日本人全員に当てはまるはずだけど。
ニュージーランド地震で倒壊した、クライストチャーチの教会の映像がニュースで流れてたじゃないですか。あの赤っぽいレンガでできてた教会。
あの教会の前で、僕は4年前、写真撮ってあったんです。旅行に行ったときに。
あの場所であの教会をバックにもう一度写真を撮ることは、もう今後二度と、絶対にできないんです。
人間は、天災には絶対に逆らえないんです。そして天災で一度壊れたものは、そして天災に限らず、一度失われたものは、もう二度と元に戻すことはできないんです。もう二度と戻ってこないんです。
……残酷だけど、これがこの世界の真実なんです。
今回の地震、今までも日本では、近いところでは新潟中越地震、阪神大震災あたりがありますが、その二つと決定的に違うところがあります。
この二つは、どちらかというと地震による建物の倒壊や火事による被害が多かったかと思います。
ですが今回のこの地震では、「津波」による被害が尋常じゃないんです。
日本は世界の四つのプレートすべてに重なっている場所にあり、周りが海で囲まれてます。
その性質上、日本はいわゆる「地震大国」ですが、今まで起きた地震では、地震速報でも大抵が「この地震による津波の影響はありません」ってテロップが流れてたと思うんです。
だけど今回は違った。
今までの地震では、「倒壊」や「崩落」、「火事」による被害が主でしたが、今回は、「津波」による被害で、「壊滅」なんです。
ニュースで津波の映像が流され、死亡者数ももちろんそうですが、「行方不明者数」の方が気になりました。
「行方不明」、とりわけ「水難事故による行方不明」ってのは、もう本当に、何も希望が残らないんです。
「TSUNAMI」が世界共通語になってるのも、その辺りが理由なんじゃないでしょうか。
本当に「津波」は、何もかもを根こそぎ奪っていく。他の災害とはまた一線を画すレベルで、被害が尋常じゃないんです。人の命、財産、家屋、車、土地、その他もろもろ、すべてを飲み込んで潰していきます。
何もかもを根こそぎ奪い、そしてわずかに残る「希望の芽」すらも、すべて摘み取ってしまう。
今回の地震の被害は、津波だけじゃありません。
交通機関の停止で、家に帰れない人が大勢いる。「帰宅難民」というやつです。この寒い季節に、どう考えても全員分の毛布や食料は用意できない。ホテルやレストランもどこもいっぱいで、公共施設を都市部では開放していますが、それでもまだ全然足りない。
電力の供給も止まっているので、暖もとれないし、情報も満足に得られない。そもそもニュースの方から「情報提供をお願いします」って言ってるほど、被害状況が把握できていないんです。
東北地方なんか、もっとひどいです。
仙台空港、滑走路すべてが水に浸かるなんてこともありました。
小学校や中学校に逃げこみ、孤立してしまっている人も大勢います。
火災も多数起こっていますし、まだまだ余震が続いています。それもただの余震ではなく、震度5以上、6強弱のものばかりです。関東圏でも余震はまだ続いているようです。
昨日は雪も降っていました。この一夜、東北地方に限らず、家にいられない人たちは、どれほど寒い思いをしたんでしょう。
こうして朝が来て、天気もよかったのが、まだ救いでしょうか。朝の日差しを浴びて、少しは被災者の方々が安心できていたらいいのですが。
……数多くの被害の中でも、一番深刻に考えさせられたのが、新聞でもニュースでもやってましたが、原子力発電所のこと。
「炉心融解」って、こういうのを言うんですね。
冷却装置がストップし、非常用冷却装置も冷却途中で停止し、電力供給もままならないから、熱がどんどん溜まり、内部の空気が圧縮され、水が漏れ出し、放射能も漏れ出していく。
なんとか深夜に電源車が何十台も走って行って、冷却はある程度間に合ったそうですが、それでもまだ周囲10kmの範囲内には近づかないよう、避難勧告が出ているそうです。
……「原発反対」って言う人の気持ちが、よくわかりました。本当に、原発は怖い。「万全を期す」とか言いますが、今回のような「予測できないほどの事態」が起こったときどうなるか、までは想定していないようです。実際、今回の地震で被害を受けた原発でも、想定していた非常用冷却装置の持続時間と実際の冷却のスピードでは、まったくレベルが違っていたそうですからね。
隠語で、「黄色いパンケーキ」って呼ぶんでしたっけ? 実際にこういう被害のことを考えると……笑えませんよね。「核融合炉に飛び込んでみたいと思う」とか、不謹慎過ぎてもう冗談でも言えません。
……まだまだ被害は出るでしょうね。落ち着くのに、1ヶ月やそこらでは全然足りないと思います。先日のニュージーランド地震の復興の目処も、まだ立っていないんですから。
どうかみなさん、この地震の記憶を忘れないで下さい。風化させないで下さい。
そして、一刻も早くこの大地震で被害を受けた方々が救出され、一人でも多くの命が救われるよう、願い、祈っています。
また、この大地震で亡くなった方々の、ご冥福をお祈りいたします。
命をかけて言います。
人間、死ぬ直前には嘘はいいません。事実です。
気づいてはならないことに気づいてしまった。
「人間がたった一人きりで、何かを考え始めると、発狂して死ぬ」というのは、事実です。
いいですか、俺が言ってることは本当です。命をかけて言っています。
人間、「なぜ?」と考えることは大事ですが、「なぜ人間は『なぜ?』」と考えてしまうと、死にます。
悪魔の証明です。
トートロジーです。トートロジーでいいんです。
「A=A」という証明方法でいいんです。「考えるから考えるのだ」でいいんです。
当たり前のことですが、当たり前です。
「当たり前だ」で済ませてしまっていいんです。
運命に従うのは当たり前ですが、運命を信じるのはやめておいた方がいいです。
ましてや運命を操ろうなどとしてはいけません。
それはこの世の真理に逆らうことになるんです。
それが、滅びを生むんです。今俺を苦しめているのは、真理に逆らってしまったからでしょう。
ここ数日、俺の様子がおかしいことに気づいている方々は、たくさんいるでしょう。
ですが、お願いします、どうか見続けていてください。
あなた方の心配だけが、俺を真理から引き剥がす力になるんです。
奇しくも今日は、俺がかつて好きだった人で、今も時々夢に出てくるほど、今でも好きな人の、誕生日です。
これを偶然と考えるか、運命と考えるか。
「運命」を信じてしまうと、何事も「運命」と結びつけてしまうようになり、その結果、「運命」を操ろうとしてしまうのです。
「運命」なんてないんです。ないものはない、そう受け入れなければ、人間は生きていくことができません。
警告しておきます。
パソコンは身を滅ぼすもとです。そして、無駄に人格が形成されすぎていると、人生で損をします。
このふたつが重なってしまうと、その人間は滅びます。
いいですか、見るならせめて、二人で見てください。
一人っ子にパソコンを与えてはいけません。
親は子供をほったらかしてはいけません。
バカならバカのままでいいんです。むしろそちらの方が幸せです。
なまじ知恵を持ってしまうと、損得勘定をしてしまうと、人間は死にます。
では、この文章を持って、今後、当分の間は、パソコンを使用しません。
では、肝心の「今後どうするか」について。
とにかく夢物語です。
でも、親父のドリームキャッチャーに後押しされたと思って、敢えて今日ここで、今夜の内に書いておきたいと思います。
正直寝なきゃヤバいんですが、これだけはどうしても書いておかなければ。出来る限り早く書き上げたいですが、この数ヶ月でまとめた考えを書くわけなので、かなり長くなるかもしれません。
まあ、大雑把に書けたらなぁ、と。
結論から言いますと、今の大学は辞めます。
でもまだ働きません。別の大学を受けなおします。
そして狙うのは、東大。
でもゆくゆくは、やっぱり作家・小説家。
……まあ、絶句するのもわかります。自分でも夢物語だと思ってますし、できるかどうかもわかりませんけど。
でも、この数ヶ月引き篭っていて、たどり着いた答えです。たぶん、俺の今後の人生の指針になると思います。
まず、今の大学を辞める理由から。
まあ普通に考えて、これ以上在籍していても無意味だと感じたので。
きっかけの大元の大元は、実はニコニコの「SIREN」のプレイおよび解説動画。
あくまでこれはきっかけの大元の大元です。こんな薄っぺらい理由で大学辞めることなんか決めたりしませんよ。
プレイ動画を観て、そしてSIRENというゲームを知って、感じたもの。
それは、「点と点が繋がって、線になるときの快感」。
SIRENというゲームは、様々な登場人物が起こす行動によって、ゲームの謎が明かされていくというゲームです。ちなみにホラーゲームに分類されるので、興味を持って、観てみたい、もしくはやってみたいと思った方はご注意を。
で、これのプレイ動画を観て、謎を解説されていくにつれて、「あの人物のあの行動はここに繋がってたのか!」と驚き、そしてそれが面白いと感じました。
SIRENの結末を知って、ふと俺が好きなアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」に近しい部分があるな、と感じました。
「そして誰もいなくなった」を知るきっかけの大元は、東方ですね。これもかなり辞めるきっかけの大元に関連しています。
「東方project」は、まあニコニコで知っている人も多いでしょうが、原作を知れば知る程、調べれば調べるほど、随所にネタが散りばめられてることに気づくんですよね。「そして誰もいなくなった」なんかほんの末端でしかありません。
俺は東方が好きです。ゲームとしてだけでなく、「ひとつの創作物」として。
原作者のZUNを、尊敬しています。単純に東方というゲームを作った点だけでなく、「なぜあれほどまでに何もかも作ることができるのか?」という点と、「なぜあれほどまでに様々な知識を作品に散りばめられるのか?」という点でです。
東方の元ネタは、他のゲームや小説、伝承、神話などです。「元ネタwiki」なるものが存在するほどまでに大量に元ネタが存在するんですね。そして、それを知れば知る程面白い。
そもそも「そして誰もいなくなった」を読むきっかけは東方でしたからね。「元ネタの方を知ってみたい!」と思って元ネタに手を出す方も少なくはないんじゃないでしょうか。
そしてたまたま、俺自身が小説を読み、書いた経験があったので、東方は俺に作品作りにおいて大きな影響を与えました。同時に、東方とZUNへの敬意もますます高まっていきました。
そして、「ZUNのような創作者になりたい」と思うようになっていきました。
俺自身、自分は組織の中で自分を殺せるタイプじゃないと思っていますので、もし仮に俺が東方のような作品を作るには、何もかも自分でしなければならない。ストーリー、プログラミング、作曲、キャラクター、イラスト、その他なんでも。
何もかも自分でするには、何もかも自分が知っていなければならない。
まあ、東方はあくまで一例で、俺の夢は、何か文章を書いて、それで人を楽しませることです。
その作品の中で、知る人がわかれば「ニヤリ」とするような細かな小ネタを入れるには、まあいろんな作品や物事を知っていなければならないんですね。
「SIREN」「東方」を知って、生まれたのが、「いろんなことを知りたい」という欲求です。
いろんなことを知って、その知識が繋がると、面白い。知的好奇心を満たすというのが、こんなにも気持ちいいことだというのは、生まれて20年、初めて知ったことでした。
大学を辞めるきっかけのひとつとして、「自分は『小説の書き方』を知りたいのではなく、もっと他のことを知りたい」というものです。
話は変わって。
俺はどうも、自立できていないように思います。
二十歳の男ともなれば、大抵の人間は大抵のことはできます。
なのに俺は何もできない。料理もできないし、洗濯もできないし、お金も稼げない。
そもそも一人で生きていけない。このままではダメだ。
こう感じるようになったのは、この数ヶ月の自分の状況を鑑みて、「親が死んだらどうなるか?」と考えるようになったからです。
今まで俺は、大抵のことは親に任せてきたし、親もそれをしてくれていました。親がああしろと言われれば、大抵のことはやりました。
つまり、俺は、自分では何もできない。
もしも明日にでも両親が事故ででも死んだら、自分は生きていけない。
経済的にとかではなく、物理的にどう生きていけばいいのかわからない。
「自分でやる力」というものがないんですね。
そしてこの状況を甘んじて受け入れていれば、いずれは親は死ぬ。その時俺はどう生きていけばいいのか。
そうならないために、今のうちから手を打っておきたい。
俺の今の年齢だと、まだ経済的には親の支援をある程度受けるとしても、一人暮らしくらいできなければ話にならない。
「ならば下宿してはどうだろうか?」と思うようになりました。
今の大学は遠い。遠いのに、自宅から通えと言われる。何本も電車を乗り換え、バスに乗り、僻地に行かなければならない。結果、前期のように大学への行き帰りだけでくたびれてしまう。帰宅するのも夜遅く。
そんな状態で勉強はできない。できる人もいるけど、上に書いたように、俺が今の大学で学びたい勉強ではないので、くたびれた状態でさほど学びたくもない勉強をする気にもなれない。
ならば学びたい勉強ができる別の大学に入り、かつその大学の近くで下宿すればいい。
これも今の大学をやめるきっかけのひとつです。
さらに話は変わって。
「いろいろなことを知るのは面白い」と感じるようになってから、ふと、MTGのことをネットで見るようになったんですね。最新エキスパンションも発売されるってことになってましたし。
MTGも、俺にとってかなり創作において影響を受けた作品でもあり、思想においても影響を受けた作品でもあります。思想については書きませんが、創作においては、特にフレーバー・テキストについては、「あれほど見事な文章はそうそう見られるものではない」と感じています。
MTG、俺もだいぶお金をかけてきましたが、一緒に遊ぶ相手が身近にいません。大学でもやってる人を探しましたが、ほとんどいませんでした。
MTGを楽しむ人がたくさん集まってくる場所で近場といえば日本橋ですが、全然近くないです。「ちょろっと遊んでいくかな」と思って足を運ぶには遠すぎます。休日でも一苦労だし、大学の帰りに足を運ぶと家に帰れません。大学のカードゲームのサークルにも足を運んでみましたが、遊戯王ばかり。仲間がいない。MTGで遊ぶサークルはないものか? と思いました。
そして、「もっと大きな大学なら、あるいは……」と思うように。さらに、「下宿先からふらりと足を運べて、かつ仲間がたくさんいるような場所が欲しいな……」とも思うようになりました。
今の大学は僻地にありすぎる。交通の便が悪すぎる。そして人・サークルが少なすぎる。これも今の大学を辞めるきっかけのひとつです。
こんな感じで、今の大学に行かない理由を屁理屈つけて考えていたら、今の大学に魅力を感じなくなってしまったんですね。
かといって辞めて働くといっても……などと、現実逃避ばかりしていました。
いずれは職に就いて働かなければならないのは理解しています。
だけど、それでももうちょっとなんとかならないものか……と思うようになっていました。
そして、日に日に「いろんなことを知りたい」という欲求は大きくなっていき、そんな状況で病院に行ったとき、主治医の先生に話したんです。「こうこうこういう理由で、今いろんなこと、むしろこの世のあらゆることを知りたいんだができないものか?」って。
いえ、あくまで「この世のあらゆることを知りたい」というのは比喩です。でも、「無限の叡智」を手に入れたい、などと思うことは最近しばしばあります。
そんなことを話すと、「君は一度『こう』と思い込むと特に極端なところまで行くからねぇ」と苦笑いされました。続いて一言。「なまじ頭が良いからねぇ」と。
その「君は頭が良い」という自分に都合のいい部分だけになぜか俺は大いに反応しました。
それで、診察が終わってからカウンセリングが始まるまでしばらく待合室で考え始めたんです。我ながら異様なほど思考がぶっ飛んでたと思います。
「頭がいい」ってのはどういうことだろう? って。
なぜ最近何も考えていない自分のことを「頭がいい」などと言うんだろう? って。
俺自身、学生時代から自分は馬鹿だとは思っていました。ただ、「馬鹿ではいたくない」とは思いました。
俺はカウンセリングで、今までの自分を振り返ることをよくしていました。
「勉強ができる=馬鹿ではない」、ではないなぁとその時思いました。
実際、今までの俺の人生ってのは……こうなる前までとして15歳までは、勉強はできたけど、他には何もできない人間でした。
ただ言われるままに勉強だけはする、でも目的意識は特にない、とそんな状態でした。目的なんて、次の日の授業のために宿題か、テストが近づいてきたから復習か、そのどちらかしかありませんでした。
高一になって、ブラバンでつまずいて、そのままズルズルと勉強しないまま高三まで行って、いざ受験、となったときに、俺は志望校がわかりませんでした。
というか、東大京大阪大神大、地方の医学部、早稲田慶応、その他の国公立私立くらいしか知らなかったんですね。恥ずかしながら。
周りの友人が関関同立とかMARCHとか言ってるのを聞いて、そんな大学もあるのか、じゃあそのへんにしとくか、とかそんなんでした。恥ずかしながら。
今思えばある種の学歴コンプレックスだったのかなー、とは思いますが。
それで、今にして思えば、なんとなくウチの高校はおかしかったような気がします。
いやまぁ進学校だから当たり前っちゃー当たり前なんですが、みんな大学に入ることしか考えてなかったような気がします。とりあえず大学入っとけーみたいな。入ったらなんとかなるやーみたいな。教師も入りそうなら入れとけーみたいな。
俺自身もそれに流されていましたし、それが正しいものだと思ってました。そう教えられてきたから。
以前書きましたが、小さい頃から親に、いい私立に入って、いい大学に進学して、いい企業に就職して……とそういう生き方が一番幸せなんだ、と教えられてました。ホントに学歴コンプレックスですね。
ただ、まあこうやって何ヶ月も引き篭ってネットばかり見ていると、なんだか人生ってそういうわけにもいかないんじゃないかなぁ、と思うようになったんですね。大学生の就職内定率とか見てると。
なんだか大学が、就職のための予備校でしかないように思えてきたんですよね。あとは若い間の最後の遊び場?
もちろんそれは間違ってはいないんでしょうけど、でもなんか違うような気がする。
一流大学出てても仕事で使えない人間なんか山ほどいる、高卒でも使える人間の方が良い、なんて話を聞くと、ああ、自分もたぶんそうなっていただろうなぁ、と思うんです。もちろんこれは極論で、一流大学出てて仕事できる奴もたくさんいれば、大学行ってなくて仕事できない奴もたくさんいるでしょう。
でも、自分は少なくともそうはなりたくないなぁ、と思うんです。
就職のためだけに大学行くのは嫌だ、勉強するために大学行きたい、とそう思うようになってきてるんですね。
就職しようとしない自分を正当化してるだけにしか見えません。社会に生まれた以上社会で生きていくのは当然です。社会で生きていけない自分を正当化していても虚しいだけです。
だから、社会に出ていけるように、せめて大学は出よう、と思っていました。でも、今の大学では将来像が見えない。じゃあ別の大学行くか? となって、出てきた答えが東大だったんですよね。
ええ、何度も言いますけど、夢物語だって自分でわかってます。
我ながらなんで考えることは常に極端なんだろうかって思います。
だけど、東大なら。俺の欲求をすべて満たしてくれるような気がする。
勉強するために行く。国の最高教育機関です。入ってくる人間も勉強したいと思う人間ばかりのような気がします。そんな人間の周りなら、自分も勉強できる気がする。これが一番大きいです。
東京なら、下宿できる。関西だからいつでも親に会いに行ける、親が会いに来れるとかそんな状態じゃダメだ。いっそ都会に揉まれて人間的にもっと成長した方がいい。
交通機関も充実してる。大変だろうけど。大学に人も多い。知り合いも今のところ、いる。今の大学では大変だった問題も、ある程度はカバーできる気がする。
そして何より、高い目的意識を持った人間がたくさんいる。それは勉強だけじゃなくて、人間として優れた人間が。人もたくさんいるから、いろんな人間と交わっていろんな経験ができる。いろんな勉強ができる。
そういうところに、俺は行きたい。
今まで何の目的もなく生きてきたけど、やっと自分の意志で自分の進むべき道を見つけられた気がする。
というか、普通の人間なら高校時代に気づくべきことを、二十歳になってやっと気づいただけなんですけどね。高校時代棒に振っちゃいましたから。
もちろん、高一から今までの五年間で経験したことは、間違いではなかったと思いますよ。むしろこれを知ることができたなら五年なんて安いもんです。人間的にも成長できた気がするし。
進むべき道は、やっぱり小説の方向になるんでしょうね。図や数式に向かっている人生よりも、文章に向かって楽しんだり自問自答したり、古人の教えを知ったりする方が楽しいです。
小説の方向へ決定づけたのは、やっぱり今の大学だと思います。だから、今の大学に入ったことも、辞めることも後悔していません。
……何もかもがうまく丸く収まったかのような言い草ですが、根本的に重要な部分が抜けています。
これは青写真だということです。
実際のところ、問題点なんか山ほどあります。
「そもそもお金は?」とか。
「お前高校行ってないのに東大なんて行けるの?」とか。
「というかお前今から勉強とかできるの?」とか。
「万が一億が一入れたとしても、勉強についていけるの?」とか。
「どうせ今の大学みたいに『俺が思ってた大学と違う!』とか言い出すんじゃねえの?」とか。
「病気のことはどうすんの?」とか。
「就職云々言ってたけど結局はお前も学歴なんじゃねえの?」とか。
他にもいくらでもあると思います。
お金のことは、まず俺自身が誠意を見せて努力すれば、ある程度工面してくれると、今日の晩飯の席で親父に言ってもらえました。
病気に関しては、実際のところ、この数ヶ月を考えると自分はもう鬱ではない、とは感じています。ただの怠け、引きこもりです。人間関係についてでまたこじらしたりするのは少し怖いですが、もういい年なんだからそんなことでいちいち再発させていたら話になりません。それも学ぶために行きます。
学歴コンプレックスであることは否定はしません。ただ、自分が一番行きたいと思ったところが東大だっただけです。そもそも今の大学に一度入った以上、そして東大に入れた時にはすでに何浪もしている計算になるということを考えると、学歴云々は大した問題ではないと思います。
そして、勉強してないのに行けるのか、という点に関しては、ここで今こうして自分で発言している以上、ある程度責任を持つべきであると思っています。恥じることのないような結果にならないよう努力するつもりではあります。入ってからコレジャナイも、東大では文句は言わないでしょうし、言える資格もないでしょう。
だからまず俺のやるべきことは、親父に誠意を見せるということなんですが、今まで考えていたことをすべて吐き出したらこんなに長くなってしまいました。
だけど、これは今日書いておかなければならないことだった。例外中の例外だったと思います。
親父にドリームキャッチャーをもらった今日この日が、俺にとって大きな転換点となる日でありますように。
さて、親父に心の底からの感謝をしたあと、今後どうするか、についてですが。
せっかく親父が形に表してくれたんです。こっちも誠意を行動で示さなければなりません。
そのためにはまず何をするか?
やるべきことをやる、なんてのは当たり前のことですが、今の俺はその当たり前のことができていません。
大学行くか働くかとか、そういう次元の話じゃなくて、もっと根本的な話。
人間としての話。
もっと言うと、生物としての話。
「朝起きて日光を浴び、日中は起きて過ごし、夜になったらきちんと寝る」。
そういうレベルからまず直さなければなりません。
今の俺は、毎日不規則な時間に起きて、日中寝たり寝なかったりで、しかも夜は遅くまで夜更かししているという状況です。
そんな自堕落な生活をしていて、人間として心が腐っていかないわけがありません。
だからまずはそういうところから始めて行きます。
で、最近になってやっと気づいたんですが……
「ブログの更新」って、意外と大事。
いや笑い事じゃなくて、ホントに大事です。
人が見ているとか見ていないとか、そういう問題ではないです。もちろん、これもまた別に重要な意味があるので、後で説明しますけど。
まず「ブログを書く」というのは、俺の場合「日記」という意味と、「寝る前にすること」という二つの大きな意味があったんです。
三年以上毎日つけていたんです。それをつけなくなったら、生活が一気に崩れるのは当たり前です。
ブログをきちんと更新しなくなったのは、大学に入ってしばらくしてから。完全に更新しなくなったのは夏休み、八月に入ってからです。
俺が引きこもり始めた時期と重なりますね。
引きこもるのは、そこが快適だから。外に出たくないから。
快適だと、何もしなくなる。その内、「何もしない」が「何もできない」になる。「何も考えない」にもなる。
で、年明けにちょろっと書きましたけど、このままじゃダメだ、と。
それが今の状況。
まず、「日記」という意味は。
ブログを更新しなくなったのは、書くことがなくなったから。
書くことがないのは、書けるようなことを何もしていないから。
以前の俺なら、何も書けるようなことをしていなくても、その日何を考えていたとか、そういうのをなんとかして書こうとしてました。
それをしなくなった。書くのが面倒になり、その内書かないのが当たり前になってしまった。
まずそこから直していかなければなりません。
日記というのは大事です。その日何をしたか、何を考えていたか、明日は何をしようか、などを書くわけですから、とにかくネタがないと始まらない。
ネタがないなら探すしかない。見つからないなら、作るしかない。
つまり、その日何かをし、何かを考え、次の日何をするかを考えなければならないということです。
そのためには、うっすい一日を過ごしてはならない。「何をしたか覚えていない」なんて一日を過ごしてはならない。今年の夏休みはそんな日ばかりでした。実際、何をしたのかまったく覚えていませんし。
「何かやった」「何か考えた」というのがなければ、人間生きている意味がわかりません。「ただ惰性で生きている」という言葉がピッタリ当てはまります。
どうしても書くことがない、という状況でも、とにかく書こうとしてみる。どうせなら「今日は何もしていないし何も考えていなかった」っていうことすらもネタにしてしまえばいいんです。その代わりに、「明日は何かしよう」と思って、考えなければなりませんが。
どうせ俺の生活です。一日一度はPC開いてネット見るんですから、ブログの投稿画面もついでに開けばいい。間違っても2chの専ブラだけ開いて終わり、ニコニコだけ見て終わり、なんてことにはならないように。
とにかく今怖いのは、「一日一度は2chの専ブラ、もしくはニコニコを見なければ気持ち悪い」という状況。これを「ブログ書かないと気持ち悪い」という状態にまで戻さなければならない。現に今ニコニコとかvipとかニュー速+見てなくてソワソワしてます。
夏休み以降、そういう生活に慣れてしまったので……
原因は……なんだろ、尖閣ビデオ流出とイナズマイレブン人気投票祭りかな?
とにかく、ネットの最新情報を常に手に入れていないと、なんだかものすごく情弱になった気分がして怖いんです。これに関係した話も、次の記事で書こうかと思います。
ネットの最新情報を常に手に入れているには、常にネットを見ていなければならない。何か新しい事件が起きたり情報が手に入ったりしたときのために。
その内、「何か起きていないかな」とPCを立ち上げるのが当たり前になり、そしてさらに「とりあえず何も起きてなくてもいいからネット見るか」となってしまう。
ネットは最高に人間の時間を無駄遣いさせてくれます。特に、先ほど例に挙げたニコニコやvip、ニュー速+とかは。あとはWikipediaとか何かのまとめサイトとかもかな。
しかも恐ろしいのは、「ネットで時間を無駄遣いする」が、「時間を無駄遣いするためにネットを見る」ことに変化することです。
例えば俺の場合、昨年の終わり頃は、昼飯を食う時間になるまで時間を潰すためにネットを見て、昼飯を食った後、晩飯を食う時間になるまで時間を潰すためにネットを見て、晩飯を食った後、寝る時間になるまで時間を潰すためにネットを見る、なんて状態になってました。
「ネットジャンキー」です。思い返せばホントにひどい……
最悪なのが、晩飯食って、寝るまでの時間にネット見ている内に、何か面白いネットの記事を見つけてしまい、それを読み終わるまで寝ない、って状態ですね。
そのためにもう一つの意味、「寝る前にすること」という意味があるんです。
「時間を決めて、その時間になったらネットを見るのをやめてブログを書く」というのが重要なんです。
そして、「書いたらPCの電源を切って寝る」というリズムを作る必要があるんです。
以前俺は、「ブログのせいで生活リズムがおかしくなった」と言われたか、書いた記憶があるんですが、それよりも「ブログを書かないせいで寝る時間がまちまち」という方が危ないです。
寝る時間がまちまちになれば、起きる時間もまちまちになってしまい、すると日中寝てしまったりして、夜眠れなくなる。それではダメだ。
ブログによる害もあるけれども、それよりも今は「ブログによる規則正しい就寝時間の設定」の方が大事です。「これやったら風呂入って寝る」、というリズムを作らねば。
「一日一回寝る前に更新」が原則、例外もたまに存在するが、基本的に例外は認めない。今日は、俺にとって重要な日なので、例外としますが。「その日の内にどうしてもやっておかなければならないこと」がある場合が例外です。
最後に、なぜ「日記帳など」ではなく「ブログ」なのか。
理由は簡単です。「見ている人がいるかもしれないから」です。
「逆じゃないの?」となるかもしれませんが、これで合ってます。
「見ている人がいるかもしれない」という可能性を残すのは、「誰かに監視、もしくは確認(言葉が悪いですが)されている」、「見ている人が読んで面白いと思わせなければならない」という緊張感と義務感が生まれますからね。ついでに見ている人に意見を貰えたりすると、モチベーションの維持にもつながりますし。
数ヶ月まともに更新していなかったので、以前見てくれていた人はもう見ていないかもしれませんが、まあがんばっていきます。
親父にこういうものをいただきました。

「ドリームキャッチャー」というそうです。
親父が少し前に、カナダでオーロラを見に旅行へ行った時に、買ってくれてあったものです。
要はおみやげですね。
それをなぜ今日になってやっともらったかというと。
とりあえず、今日の夕食の席で、前々から考えていた、自分が今後どうするかということについて、やっと話しました。
今後どうするか、ということの内容については一旦置いておいて。
とにかく、今はこれが嬉しいです。
本当に嬉しいです。
めちゃめちゃ嬉しいです。
なんかもう何がどう嬉しいのか言葉にするのが難しいくらい嬉しいです。
えーと、まずこの「ドリームキャッチャー」というものについてなんですが、簡単に説明すると、カナダの魔除けのお守りみたいなもんです。
輪の内側が網になっていて、これを子供のベッドの上に置いておくと、この網が悪い夢を捕まえてくれて、子供に良い夢だけを見させてくれる物なんだそうです。この網を通すと悪いものだけを濾過してくれるというわけですね。
これを、「俺のために」買ってくれてあったそうです。
俺の今のひどい状況を考えると、悪夢を捕まえてくれるというのは、俺の幸せを願ってくれているということですね。
もちろんこれは、俺が引きこもり始めてから旅行に行って買ってきてくれたものです。
まず、これを買ってくれたというのが嬉しい。
いや、「買ってくれていた」と言うのが正しいか。
もう引きこもり始めてから半年近くになりますが、毎日毎日、大学にも行かずそれでいて就職するわけでもなく、食っちゃ寝だけしていた俺のために、わざわざ買ってくれていた。
息子があんな腐った状態だったのに、それでもなお、俺のためを思って買ってくれていた。
俺のことを思ってくれていた。
口では「あいつはもうダメだ」とか、「あいつにもう構うな」とか、そんなことを言っていたらしいのに(おかん曰く)、俺の見えない、知らないところで俺の幸せを願ってくれていた。
こんなに嬉しいことはありません。
やっぱり、子供のことを思わない親なんていないんですね。
以前「親父死ね」とか言っていたのが、本当に申し訳ないです。
親父は俺のことを思ってくれていた。
それが本当に嬉しいです。
「ドリームキャッチャー」というのも嬉しいです。
名前からして嬉しい。「夢を掴むもの」ですよ。
俺、今日、親父の前で、馬鹿みたいな夢物語を語ったんです。「自分はこうしたいんだ」って。
実現なんて無理なんじゃないかってくらいの夢です。
自分でもわかってました。「こんな夢物語が何になるんだ」って。
でも、そんな夢をまるで後押ししてくれるかのような、「ドリームキャッチャー」。
なんの因果か、それとも運命だったのか。こんな時にこんなアイテムをもらえるなんて。
いやもう運命としか考えられない。
きっとこれは、親父が「夢を叶えなさい」って意味でくれたに違いない。本人はそんな気持ちはなかっただろうけど、俺はそういう意味で捉えます。
そして、もう一つ嬉しいのは。
カナダには親父と下の姉貴で行ったんですが、姉貴が「あいつにそんなもの買う必要ないよ」って反対していたにも関わらず、親父はわざわざ買ったんだそうです。
帰ってきて、俺がいないところでおみやげを広げているとき、上の姉貴が「私これ欲しい」って言ってたのに、そこでも「ダメ」って言ってたそうです。頑なに拒んだそうです。
そして、敢えて俺にすぐに渡さなかった。
「いつかあいつにこれをやれる時が来ればいいのにな」とか思ってたんだと思います。
今までみたいな毎日腐った状態の俺に渡したってしょうがない。
今日、やっと俺が今後どうするかを聞いて、それに期待したからこそくれたんだと思います。
なんともまあ粋な計らいだろうか。
直接渡してくれないあたりがまた親父らしい。姉貴に「いい機会だからあれあげたらどう?」と言われて、「あぁ……そうだな」って少し照れ笑いして、姉貴が取ってきて渡してくれました。
ドリームキャッチャーについての説明を聞いて、それこそいい年して馬鹿みたいに、子供みたいに大はしゃぎしている俺を見て、親父はそそくさと居間に行ってしまいました。きっと照れくさかったんでしょうね。
親父が居間に行ってからも、俺はしばらくは台所でドリームキャッチャーを手にとって眺めながらニヤニヤしていると、姉貴に「気持ち悪い」って言われました。「普段のお前のキャラじゃない」って言われました。それくらい俺はニヤニヤしていたんでしょうし、幸せだったんでしょう。
なんというか、きっと俺の親父は、すごく不器用なんでしょうね。子供に対してどんな接し方をすればいいのかわからないというか。照れくさいというか。
俺は今日のついさっきまで、自分の父親は子供に対してすごく冷たい人間なんだと思ってました。
子供のことをわかってない。ほったらかしにしている。
そんな風に感じていました。
でも、本当は違った。実は俺の親父は、子供に対してすごく不器用なだけで、でもすごく愛してくれている人なんだと気づきました。やっとです。
そういう不器用なところとか、照れ屋なところとかに今日初めて気づいて実感して、そんな親父がなんだか可笑しいというか、いじらしいというか、可愛らしいというか。そう感じたので、俺はいつまでもドリームキャッチャーを眺めてニヤニヤしていたんでしょう。
「子供のことを愛さない親なんていない」。今までの俺ならそんな言葉、ただの字面が綺麗なだけの文章だと思っていたんですが、今日になってやっと理解して、実感できたような気がします。
「愛情」なんて、今まで感じている気はしていたけど、それは感じているつもりだっただけ。
百や千の言葉よりも、こうやってひとつの行動で表してくれるだけで、もっと言うと、こうやってひとつの物に表してくれるだけで、十分伝わるんです。そして重みも違うんです。……我ながら単純で現金な奴だと思いますが。
このドリームキャッチャー、親父の俺に対する愛情が篭りに篭ったものだと思います。
だから、これは俺の宝物です。
なんというか、コロッと落とされてしまったようにも感じます。姉貴の恋人に言わせると、俺の親父はすっごいツンデレらしいです。俺、見事に陥落しました。
ありがとう、親父。そしてありがとう、ドリームキャッチャー。俺の宝物。
そして、俺もこの親父の愛情に応えるべく、これからがんばらなければなりませんね。
今まで引き篭っていた期間は無駄じゃなかった。
この思想が大事だ。
やっと、巡り会えた。
サボりました。そしてサボってから気付く事態の大きさ。
…何やってんだろ、俺…
行く気がまったくなかったわけではないんですよ。言い訳になりますが。朝も一応起きましたし。
でも動きたくなかった。
でも家で寝てたら仕事から帰ってきた姉貴にどやされると思って逃げた。
日本橋まで行ってきました。ガチャピンと待ち合わせて。
…日本橋まで行く力があるなら新大阪まで行けばいいのにね。本当に俺何やってんだろ。
ズルズル時間伸ばして、間に合わないとわかったときにやっと自分のしたことの重大さに気付きました。
親の金で何やってんだ…
親の金をなんだと思ってるんだ…
悪いこと、いけないことをして…たぶん生まれて初めてです、ここまで後悔して罪悪感に苛まれたのは。
ガチャピンと日本橋でぶらぶらしてて…おかんからのメール。
「今日は試験行ったの?」
これで心にきました。
親を裏切って遊んでるなんて…俺は一体何をしてるんだ。
泣きたくなりました。
でも本当に泣きたいのは親でしょうね…
昨日の俺を殴り殺したい。
なんであんなこと書いたんだ…
でも受けるのは本当に辛かった。
判定とか倍率とか…そういうのも含めて受かるわけないって思ってたから。
でも「受けることに意味がある」んですよね。
昨日までは馬耳東風だったけど、今日サボって痛いほど実感しました。
これは一生の汚点になる。
もうやだ…俺なんか死ねばいいのに…
でも死んでも何の解決にもならない。
むしろ生きて罪滅ぼしをすべきだ。
…つらいけど、後期は受けに行こうと思います。
まずは目の前の罪滅ぼし。受けることで罪滅ぼしになるなら…
赤いガチャピンと遊びましたが、ガチャピンは後期に向けて勉強してるようです。
俺は何やってんだろ…
何もしてない。
今日日本橋行ってまた懲りずにカード買ったけど、ちっとも満たされてません。
正直、疲れただけです。
頭が疲労でガンガンいってます。
いや、こんな書き方だとガチャピンに悪いな。
楽しかったよ。
でも、やらなきゃならないこと放り出して遊んだのは…反省。
つくづく俺は馬鹿なんだろうなぁと思います。今に始まったことじゃないけど。
…明日、島根県立の発表です。
受かってる気がしません。
広島まで行きましたが…疲れただけでした。
体力つけたいと思ってますが、主治医の先生にダメって言われてるんで…
一日動いて一日ダウンしてたら大学とか行けないだろうなぁ…
ドロップアウトはしたくないです。しちゃダメです。
果たして大学生活送れるのか…?
なんか後半脱線しましたけど、今日の俺は底なしの大馬鹿者でした。
いつもいつも自分で自分が馬鹿だとわかってたつもりでしたが、まさか一時の感情だけで損得を見失うほど馬鹿だとは思ってなかった。
ここまで馬鹿だったのか…
激情に任せて何か書くとロクなことになりませんね。
反省してます。
大抵こういうことに気づくのは一晩経ってからです。
頭が冷えるって言うんですかね。
言い訳になりますが、昨夜書いたときは本当にムカムカしてて…すみません。
大阪芸大には受かった、それはそれでよかった。
でもそれと国公立を受ける受けないは全く別の話です。
昨日は「チャレンジ精神なんか糞食らえ」とかまたトチ狂ったこと書いてましたが、俺の悪いところですね、こう…居直ると言うか。
俺の場合、何か人に注意されると「何くそ!」と思うんじゃなくて「あぁそうですよ俺が悪いんですよ」って居直るんですよね。
本当に馬鹿です。
もう少しマシだと思ってた。
やだなぁ…なんで俺はこんなに馬鹿なんだろう…
とりあえず自分が底なしの馬鹿だということには気付けました。
個別返信はまた書きますが、ルーラー様、ぱとりんだ様、鬱病浪人生様、コメントありがとうございます。
人間として何か大切なものがどうしようもなく欠落してるんじゃないかと思うくらい馬鹿でした。
国公立も受けます。
一時の感情で全体の損得を見失うような馬鹿にはなりたくないものです。
…芸大に進むということは、やはり一時の感情で損得を見失っていることになるんでしょうね。
それが俺の甘いところです。
進むにしても、やはり親に支えてもらって、それを理解した上で、感謝して進むべきなんでしょうね。
ただでさえ毎日ブラブラして親に心配と迷惑かけてるのに、その上感謝を忘れるとは、本当にどうしようもなく馬鹿ですね。
昨日の記事ももう少し考えて書くべきでした。
こうやって気付けたので、今度はそれをどうやって行動で示すかですね。